ニュース&日記
日記
2012年8月11日
「故郷を感じる」
ユランダ・ブレア
浦田に来て以来、アンディーは、集落の人々の文化や生活にとって欠かすことのできない地元の食習慣について、可能な限り多くのことを学んできました。彼は、実際に農地を耕し、地元の食材を使って郷土料理を作ったり、それを振舞ったりしてきました。また、近くの野原で食べられる植物を採集したり、地元の多くの家庭で家庭料理をご馳走になったりもしました。このような経験は、絶え間なく変わっていく浦田の伝統や文化・アイデンティティーを探求すると同時に、言葉を介さずとも地元の人々と通じ合うことを可能にする、極めて重要な機会をアンディーに提供してくれました。彼は、1ヶ月の浦田滞在期間中に撮影した写真やスケッチ、作成したその他のアート作品をこれからまとめて、今後、展示および出版物という形で発表する予定です。
アンディーの作品「故郷を感じる」は、オーストラリア・ハウスの前庭で、祖先の霊を祀る日本のお盆祭りを皆で祝うというパフォーマンスで盛大に幕を閉じました。アンディーは、このイベントのために、オーストラリア・ハウスや地元に点在する三角形の倉庫にヒントを得ただけでなく、世界中で伝統的に見られる食べ物の準備方法-生・調理・保存-という3つの側面を表現しようと三台の机を三角形に並べました。このように配置された机が作り出した三角形は、地元の特定の調理方法を表すだけでなく、それぞれの文化や歴史、大陸を超越する経験の共有を暗に示しています。アンディーはまた、お盆を祝う料理のメインとして、鶏の唐揚げを作ることにしました。唐揚げは、日本でお祝いの際に食べられる人気のメニューというだけでなく、世界各地で、様々なバリエーションで食されている、世界的かつ地元に根ざした料理だからです。この他、アンディーが浦田滞在中に教わった地元の野菜を使った郷土料理4品が、唐揚げと共に、カラフルで美味しいメニューとして加わりました。
「故郷を感じる」というパフォーマンス作品は、皆が共同で作り出す一般参加型のプロジェクトです。イベントが開催された3時間の間にオーストラリア・ハウスを訪れたすべての人々は、三角形の外側から、内側にいる地元の「料理講師」に迎えられ、一緒に料理準備に参加するようにと誘いを受けました。参加者はお赤飯でおにぎりを作り、それを海苔で巻いたり、黒胡麻とくるみをすって野菜を和えるための胡麻ダレを作ったり、酢の物を作るためにキュウリを薄くスライスしたり、揚げたての唐揚げをバナナの葉で包んで藁で結ぶよう求められました。
参加した子供たちはとても楽しげにその誘いを受けましたが、大人の中には、はじめ少し気が乗らない方もいらっしゃいました。なんでも、自分達に提供される食事の準備のために、自ら率先して手伝いをしなければならないことに驚かれたようです!パフォーマンス作品への参加が、一部の参加者にとって、習慣に逆らう難しいものとして受け止められたことはアンディーにとって、目の覚めるような経験だったようです。オーストラリアでは、このような一般参加型のプロジェクトは、通常、寛大に受け入れられており、楽しく一緒に時間を共有したり、共同生活を送ったりしながら、アートを通じて社会的な変革を追及するというのは、そう珍しいことではありません。そして、少なくとも、このようなプロジェクトの大半が開催される都市部の人々は、今回のような社会主導型のアート作品へ参加することに非常に慣れています。アンディーが「故郷を感じる」で意図したのは、彼一人だけがこの作品の作者である、という意識を離れ、人々が共に集まり、分かち合い、学ぶ場や背景を作り出すということでした。しかしながら、アンディーのこのプロジェクトは、日本の農村部では、異なった、思いがけない意味を持つものとなりました。
日本では、来客がある場合、人々は食べ物を差し出して来訪者に感謝の気持ちを伝えるという、長く根付いた慣習があります。このため、今回、アンディーのパフォーマンス作品に参加した人々の中には、彼の芸術的意図を誤解したり、見過ごしたりした方もいたようです。オーストラリア・ハウスを訪れた方々は、共に座り、語らいながら、料理を食べるということを、間違いなく楽しんでくれましたが、このイベントの創造的で、人々と関係性を築く、遂行的な側面は、すべての人々に明確なものとして伝わったとは言えませんでした。アンディーは、大地の芸術祭を訪れる、都市部で忙しい生活を送る人々が、オーストラリア・ハウスに来ることで、しばしの間立ち止まって、地元の恵に支えられた暮らしを送る浦田の人々の話し-地元の料理の作り方を教えて下さったオガワさんのTシャツには「No Rice No Life(お米が無ければ生きられない)」のメッセージがあり、そのことを示していました-を聞きながら、彼らから学ぶ機会を得てくれたらと考えていたようです。残念ながら、オーストラリア・ハウスを訪れた多くの人々は、アンディーの芸術的かつ社会的な関心事をそれほど理解せず、困惑したようで、協調して取り組むということに対して消極的でした。
「故郷を感じる」は、アンディーにとって、異文化と関わる上での厳しい、しかし有益な教訓をもたらしてくれたようです。彼はまた、なじみのないアートや文化的背景における、作家と参加者の複雑な関わり合い方についても考えを巡らせるようになりました。アンディーは、パフォーマンスやそれによって地元の歴史やアイデンティティー、儀式や文化観光、経済的持続性についての考え方を抽出できたことに満足し、同時に、今後同様のアートプロジェクトを開催していく上での、数多くの新しいアイデアや戦略を得ることができたようです。推測から始まったアンディーの1ヶ月の浦田滞在は、非常に生産的で実り多いものとなりました。彼は、自分自身のスキルを試し、独創的なリスクを冒し、予期しなかった関係性を築き上げ、新たな文化的知識を確立し、自分自身の芸術的な営みを予測不可能で刺激に満ちた新しい方向へと向かわせたのです。
アンディーが伝統的なお盆の配色を取り入れ和紙で作った提灯。この提灯には、アンディーが、今回のイベント用に用意した料理の食材として採集・使用した4種類の野草の絵が書いてあります。
浦田在住のオガワさんの丁寧な指導の下、ご馳走の準備を手伝う参加者たち。
重要にもかかわらず、忘れられることの多いメッセージを、越後妻有を訪れた人々に伝えるオガワさんのTシャツ。
出来上がったご馳走を頂く、地元の女性。
熱心にすり鉢で胡麻をするオーストラリア・ハウスの訪問者。
すべての下ごしらえの手伝いをした女の子…両親が呼んでも、その場を離れようとしないほど熱心でした!
おにぎりに海苔を巻きつける子供たち。
実際に「手を汚しながら」イベントに参加する人々。
見知らぬ者同士で一緒になって準備したご馳走を共に囲む人々。
祖先の霊を祀るお盆の始まりを告げるアンディーの手作り提灯。
鶏の唐揚げは、バナナの葉で包み、地元の藁で縛ります。
地元で取れる美味しい野草、ぜんまいを調理するマスターシェフのアンディー。
ニュース
2012年8月11日
故郷を感じる (仮題)
アンドリュー・リワルド
オーストラリア・ハウスに滞在中のアーティスト、アンドリュー・リワルドが以下のとおり、日本のお盆に合わせて開催する食とアートのイベントを行います。
日時: 2012年8月11日 (土)
時間: 11:00 - 14:00
場所:
オーストラリア・ハウス
942-1342 新潟県十日町市浦田7577
ウェブサイト
どなたでもご参加頂けます。上記時間中の短い時間でも結構ですので、是非、お越し下さい。アンドリューが皆様を温かくお迎え致します。
日記
2012年8月6日
大地の恵に支えられた生活
ユランダ・ブレア
今日の午後、アンディーと私は、地元の女性グループが地域の人々のために集落センターで毎月開催しているというランチに招待していただきました。私たちが、ヒサエさん、イズミさん、キミヨさん、スミエさん、ケイコさんと初めて出会ったのは、制作滞在を始めた最初の週に、大厳寺高原で行われたバーベキューの時でした。その日、私たちは、真夏の暑い太陽の下、地元の女性たちから、新鮮なヤギの肉をたらふくご馳走になり、アンディーとブルック、トレントに至っては、お酒をたくさん飲まされました。
今日のランチは、よりくつろいだものとなり、女性たちは私たちの家族やオーストラリアでの暮らしについて多くのことを尋ねてきました。私たちは、日本とオーストラリアそれぞれの社会における高齢者の扱いの違いについて話をしました。日本では、大抵の場合、長男か長女の家族が年老いた親と同居し、彼らの面倒を見るというのが普通だそうです。このため、ヒサエさんのご家族は4世代9人が一緒に暮らす大所帯だとのこと。私たちはまた、経済的自立や成人期への移行などについても話しをしました。オーストラリアの子供たちは、日本に比べ、少なくとも過去10年くらい前までは、急に大人になるように求められていたような気がします。当然のことながら、私たちは食べ物やオーストラリアの食べ物は何かといったことについても話をしました。そこから、オーストラリアの人口や移民の移動傾向についても話が発展していきました。アンディーがよく皆さんに説明しているように、典型的なオーストラリア料理というのは、大変多様性に富むもので、多民族国家としてのオーストラリアを反映しています。
ランチのお誘いを受け、とても嬉しかったと共に、皆さんがこんなにも私たちのことに興味を持ってくれたことを光栄に思います!私たちは浦田の女性グループの連帯感や親しみやすさ、快活さにすっかり刺激を受けました。帰りの車の中では、メルボルンで自分達の料理グループを立ち上げるのも悪くないねと話し合いました。
キャラぶき、キュウリのお漬物と、収穫したばかりのキュウリ。
チキンカツとおにぎり、枝豆。
地元で採れた甘~いトウモロコシとトマト。
浦田の集落センターで開催されたランチ。左手前から右まわりにユランダ、ヒサエさん、イズミさん、キヨミさん、スミエさん、ケイコさん、アンディー。
絵を描く際の色素として使用するために野の薬草を煮出すアンディー。
日記
2012年7月31日
大地の恵に支えられた生活
ユランダ・ブレア
今日、アンディーはセイジさん、タケさんご夫婦のお宅で、料理レッスンを受けました。お二人は地元でも有名な農業の専門家で、自分達が畑で育てた茄子や胡瓜、もち米、小豆、ぜんまい(浦田の野山に自生するシダ植物の一種)などを使った夏の郷土料理の作り方をアンディーに伝授してくれました。三人はまた、自家栽培のもち米と小豆でお赤飯を作りました。それから、お二人は味噌でさえも手作りしています!
セイジさんは70代後半で、現在では、以前ほど畑の手入れをすることができないとのことでした。彼は、お店で購入した胡麻を利用することを詫びて、きまり悪そうに、今では、1ヘクタールの土地でお米などわずか30種類の作物を栽培しているにすぎないと話してくれました・・・でもそれを聞いた私たちはすっかり感動してしまいました!
タケさんは、また、郷土料理を食べることの大切さをアンディーに教えてくれました。地元に伝わる郷土料理は、タケさんに、400年も前から浦田に暮らしていたご先祖様のことを思い出させてくれるそうです。このようなお話は、先祖の霊を祀るお盆祭りの準備を進めているアンディーにとって大変貴重なものとなりました。
胡麻和えの作り方を教わるアンディー。黒胡麻とくるみと味噌をすり合わせてインゲン豆と一緒に和えます。
茄子とピーマンを炒めるセイジさん。
インゲン豆を胡麻味噌で和えるタケさん。
胡麻和え用の黒胡麻とくるみを摺っているところ。
お赤飯を炊くタケさん。
日記
2012年7月28日
オーストラリア・ハウス・オープニング・ナイト
ユランダ・ブレア
本日、オーストラリア・ハウスがテープカットと共に正式にオープンしました。けれども、大地の芸術祭-越後妻有トリエンナーレ2012開幕前夜に開かれたオーストラリア・ハウスの「お披露目」パーティーで、何にもまして、皆の心をつかんだのは権兵衛さんによる心の込もったカラオケでした。
オープニング式典は、夕暮れ時に、浦田小学校の全校生徒8名による伝統的な和太鼓の演奏と共に幕を開けました。浦田小学校は今年度末に閉校となることが決まっています。そんな浦田の生徒さんたちが和太鼓演奏で式典に花を添えてくれたことで、より感動的なオープニングとなりました。式典では、駐日オーストラリア大使をはじめ、十日町市長、豪日交流基金理事長、浦田地区代表が次々に祝辞を述べました。また、式典に出席したオーストラリアの人々にとって、来賓が白い手袋をして、一列に並んで、一斉にテープにはさみを入れる、日本のテープカットを見ることができたことは素晴らしい経験となりました。
伝統的な和太鼓でオープニング式典に花を添える浦田小学校の生徒さんたち。
写真: ブレット・ボードマン
オーストラリア・ハウスのオープニング式典で祝辞を述べる関口芳史十日町市長。
写真: ブレット・ボードマン
オーストラリア・ハウス、テープカットと共に、正式にオープン。
写真: ブレット・ボードマン
オーストラリア・ハウスについて、来賓に説明をする建築家のアンドリュー・バーンズ。駐日オーストラリア大使 (右)
写真: ブレット・ボードマン
浦田地区の女性は、式典後のパーティー準備のため、MLA豪州食肉家畜生産者事業団から提供された「オージー・ビーフ」と共に振舞われる郷土料理の準備で、昼間から大忙しでした。パーティーのために用意された「オージー・バーベキュー」は、やわらかいオージー・ビーフと白いふわふわのパン、ケチャップに加え、おにぎりや、みずみずしいトマトのお漬物、揚げだし豆腐、とろけるような南瓜のお惣菜や蕎麦までもがお皿の上に載った、これまでにない特別のバーベキューとなりました!バーベキュー用のビーフは浦田地区の皆さんが楽しそうに焼いて下さいました。また、オーストラリアのクーパーズ・ビールやスパークリング赤ワイン、冷酒なども振舞われ、皆さんで一緒に楽しみました。
オーストラリア・ハウスのお披露目パーティーのため、料理を準備する地元浦田地区の方々。
写真: ブレット・ボードマン
笑顔でオージー・ビーフを焼く浦田地区の方。
写真: ブレット・ボードマン
乾杯!
写真: ブレット・ボードマン
その後、オーストラリア・ハウスを設計したアンドリュー・バーンズやアーティストによるスピーチが行われ、いよいよ権兵衛さんの出番となりました。権兵衛さんは粋なグレーの背広にピンクの蝶ネクタイという姿で、カラオケ・マシーンの前に登場。ブルックの助けを借り、「ディラン・ンラング-山の家」の前で、お気に入りの「あざみの歌」と「緑の地平線」の二曲を熱唱することになりました。どちらの曲も自然の美しさや人と人とのつながりの大切さを歌ったものです。権兵衛さんの歌声は聞く者を感動させ、皆の拍手は近くの山や谷にまで届きました。
式典参加者の前で挨拶をするアンドリュー・バーンズ。
写真: ブレット・ボードマン
「ディラン・ンラング-山の家」の前で、カラオケを熱唱する権兵衛さん。
写真: ブレット・ボードマン
権兵衛さんのカラオケが終わると、アンディーによる最後のパフォーマンスとなりました。スミ江さんと彼女の友人のミカさんが、「ディラン・ンラング-山の家」近くに用意した野外コンロで熱心にお餅を焼き、その近くでアンディーが焼きあがったお餅に独創的に手を加えていきました。越後地方に点在する三角屋根の小屋や、大地の芸術祭の特徴的な黄色い三角形のロゴに触発され、アンディーのお餅は、なんと、三角形をしていました! アンディーは、そのお餅を人参とゴマの入った玉子焼き、蒸したミズと一緒に海苔で巻き、大根のお漬物、赤カブ、塩もみした胡瓜と共に赤紫蘇の上に載せたおいしそうな「作品」を完成させました。ここで使用された食材はすべて地元で作られたものです。地元のお味噌で作ったドレッシングで味付けされた、アンディーの食べる作品は、お餅を作る時に使う木板に、ひとつひとつ並べられ、皆さんに振舞われました。スゴイ!
アンディーのお餅ハウス!
アンディーの食べられる作品のためにお餅を焼くミカさんとスミ江さん。
会場を回って皆にお餅を振舞うアンディー。
食べられる作品の完成! 皆のお腹に収まる前のアンディーのお餅。
食べられる作品を制作中のアンディー。
日記
2012年7月23日
餅もちマン
ユランダ・ブレア
浦田のご近所さん宅を訪れる際に、よくご馳走になるのがお餅です。お餅は地域に深く根付いた、歴史的、精神的に重要な意味合いを持つ食べ物です。権兵衛さんとスミ江さんの家で、私たちは、甘いお餅や塩っぽい味のするお餅、草餅、海苔で巻いてあるお餅を頂きました。アンディーは、オーストラリア・ハウスのオープニング式典の際にお手製の特別なお餅を披露することに決めました。そのため、彼は、スミ江さんに頼んで、お餅の作り方を一から教わることになりました。
お餅は、粘質の短粒米であるもち米から作られます。餅作りのために、収穫量が限られているもち米を大量に使用する必要があることから、お餅は伝統的に、お正月などのお祝いの時に食べられる贅沢品でした。人々は12月29日に、蒸し上げたもち米を杵と臼でついてお餅を作ります。力強く餅をつく行為には、苦を放つという意味合いがありました(興味深いことに、その後、地元の料理人の長谷川繭さんが、日本の年末のお祝いには、しばしは過ぎ行く年の苦しみを忘れさせてくれる意味合いがあると、アンディーと私に教えてくれました!)。大きな杵を使って木の臼の中でお餅をつくのは本当に骨の折れる仕事だったようです。現在でも、地方によっては、杵と臼を使ってお餅をつくそうですが、自分達でお餅を作る人々の大半は、餅つき機を使うそうです。
アンディーは、オーストラリア人の友人ドムと一緒に、権兵衛さんご夫婦の家を訪れました。流暢に日本語を使いこなすドムは、調理場の副責任者として、また通訳者として大活躍でした。ドムがいてくれたおかげで、餅作りレッスンはくつろいだ雰囲気の中、楽しくて有益な情報に満ちたものとなりました。ドムは権兵衛さんご夫婦に、彼らがこれまで知らなかったオーストラリアの食文化について紹介しました。ご夫婦はまた、アンディーの独創的で概念的な食への関心についても知るところとなりました。ドムのおかげで、これまでに比べ、情報や知識の交換が双方にとってよりバランスのとれたものとなりました。
餅作りレッスンの後、アンディーとドムは、権兵衛さんご夫妻と一緒に近くの草原へ山菜採りに出かけました。彼らはオーストラリア・ハウス近くの茂みでミズという山菜を採ってきました。アンディーは、オーストラリア・ハウスのオープニング式典の際に振舞うお餅料理にミズを使うことにしたようです。
つきたて、できたてのお餅。
三角形のお餅を作っているアンディー。通常、お餅は、西日本や南日本では丸型で、浦田が位置する東日本や北日本では四角だそう。
初めて、最初から最後まですべて自分ひとりでお餅作りに挑戦するアンディー。
米粉をまぶした板に優しい手つきでお餅を広げていくスミ江さん。これからお餅を切っていきます。
米粉の上につきたてのお餅を取り出すスミ江さん。
近代的な餅つき機の使い勝手と性能に関心するアンディーとスミ江さん!
蒸し終えたもち米を餅つき機に入れる準備をするスミ江さん。
つきたてのお餅を伸ばして、食べやすいサイズにちぎっていく権兵衛さん。
近くの茂みでキャラぶきを採るアンディーと権兵衛さん。
一緒に作った、できたてのお餅をいただくアンディー。
オーストラリア・ハウス近くの茂みでミズを摘むアンディーの友達ドムと権兵衛さん。
日記
2012年7月21日
公開された「山の家」
ユランダ・ブレア
光る白と赤のネオンがようやく設置され、ブルックの作品が完成した昨日、そのお祝いが静かに行われたのには理由がありました。
ブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」に見入るトレント。
ブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」に見入るトレント-クローズアップ。
オーストラリア・ハウスの外から撮影されたブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」全景。
作品のネオンで作られた日本語の漢字を使ったテキストは、ブルックが2012年3月に行った浦田地区の住人への取材がインスピレーションとなっている俳句です。当時ブルックは、越後妻有-大地の芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏と話し、特に外部からの訪問者のために、作品を通して地元の文化や考えを伝えることの大切さを確認しました。このときの会話がきっかけとなって、ブルックが地元の人々に、「あなたにとって最も大切でお気に入りの、先祖から伝わる地元の伝統は何ですか」という質問を投げかけることになりました。こうした会話は、何ヶ月にもわたり、第二次世界大戦後の地域文化の変化、現代化、資本主義、精神性、儀式、人と自然との関係といった深いトピックにまで広がりました。そして地元の浦田住民の経験と現代オーストラリアにおけるアボリジニーの経験の共通点までが見いだされました。
ブルックは作品「ディラン・ンラング-山の家」を作る過程で、多くの詩を書きました。そして仕上がった最後の詩は、浦田を深く反映したもので、冬を生き抜く苦しみ、減少する若者、そして祖先、伝統、地域の山の精神や農業の上での大切さを詠っています。
雪と翡翠色の川をみて
山の神を感じて
わしらの子供たちをみて
わしらの苦悩をみて
しっかりみて
一緒にお茶を飲もう
「ディラン・ンラング-山の家」の俳句は鏡文字で書かれていて、見る人はそれが反射された鏡によってしか読むことができません。そうすることで、見る人を作品に引き込み、そして地元の人々の人生に入り込ませるデザインになっているのです。詩の最後の行(鏡を通さなくても読める唯一の行)は、詩の他の部分から物理的に切り離されており、優しく光る赤いネオンの光で書かれています。光がそっと赤いガラスのケースを通して脈打つ中、訪れる人々が座ってしばらくそこに留まり、お茶を飲んで地元の人々に思いを馳せるようになっています。ブルックが取材を通して学んだことの一つは、地元の人々は外からの訪問者と深く関わりたいということでした。彼らはオーストラリア・ハウスが、訪問者がさっと写真を撮って通り過ぎるような観光スポットになることを望んではいないのです。
後ろから「ディラン・ンラング-山の家」に近寄るトレント。作品は片持ちパネルに設置されていて、他のイベントや作品展示が行われているときにはしまうことができる。
夕暮れ時にオーストラリア・ハウスの外から撮影されたブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」近景。
夕暮れ時にオーストラリア・ハウスの外から撮影されたブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」全景。
丘の高い場所から撮影されたブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」。
オーストラリア・ハウスでは、外の景色が4つ目の壁となっている。山が作品を包み込んでいるのだ。
ブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」はオーストラリア・ハウスを取り巻く自然の景色に溶け込んでいる。
オーストラリア・ハウスのガラスの扉に反射するブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山の家」。
ブルックは「ディラン・ンラング-山の家」のために釣り大好きのイシズカさん(写真では夫人とともに)にインタビューした。
ブルックは「ディラン・ンラング-山の家」のためにコグレ・シゲオさん(53歳)にインタビューした。コグレさんは10年前に浦田に移ってきたので、地区では新人扱いされている。
ブルックは「ディラン・ンラング-山の家」のために権兵衛(サトウ・トミヨシ)さん(77歳)と夫人のスミエさんにインタビューした。
2012年7月21日土曜日の大地の芸術祭のプレスツアーで公開された「ディラン・ンラング-山の家」は、日本のメディアからも賞賛を受けました。その時の様子やブルックのビデオインタービューはこちらからご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=JpCnisd4-Sg
http://www.youtube.com/watch?v=8pEwHYzHykw
日記
2012年7月19日
光のトリック
ユランダ・ブレア
ブルックの作品は、トレント、アンディー、ユランダが広がりをもつ幾何学的な壁の模様の制作作業を手伝い、ほぼ完成に近づきました。「ディラン・ンラング-山の家」と題されたその作品は、ブルックが自身のオーストラリア先住民ウィラジュリ(Wiradjuri)の伝統にインスピレーションを受けて制作されたものです。地には、ウィラジュリの人々が盾や木に施していた伝統的な模様である、目のくらむような黒と白のダイアモンド模様が描かれています。ブルックのこのような模様使いは、彼なりの遊び心を交えた文化的表象の解釈で、動きや振動を錯覚させるオプ・アートの美学を想起させます。放射状の模様は、目を見張るようなデザインで人目を引きますが、同時に何層にもわたって、過去と現在の儀式慣習の力強い意味が秘められています。平面的で幾何学的なデザインの中の黒と白の交差には、政治的な意味もあります。黒と白の形は、それぞれのアイデンティティーを保ちながらも同時にその対照性によって変化をも受けていて、その点でこの模様は、オーストラリアの植民地化、現代の黒人と白人の文化の複雑で変わり続ける関係の比喩とも言えます。
二重の問題。彼の壁の模様の部分をテーピング(ブロック)するブルックとその鏡に映し出された姿。
いきなりアクション・ペインティングを行うと同時に自分のTシャツに特別仕様を施すブルック。
作品の進み具合に満足そうなブルック。
ペンキが乾き、テープが外され、仕事の出来に満足げなトレント。
作品「ディラン・ンラング-山の家」の間近に迫った完成を祝って、夕方、一味はジェームズ・タレル氏の「光の館」へと出かけました。アメリカ人のアーティストであるジェームズ・タレル氏と日本人建築家の石井大五氏によるコラボレーションにより、2000年の第一回越後妻有・大地の芸術祭のために制作されたこの家は、アート作品であると同時にゲストハウスでもあります。トレントとユランダは、2010年に瀬戸内海の直島でタレル氏の瞑想的で荘厳な作品を見ていたので、殊更、光の家に泊まることに興奮していました。タレル氏の「実験的な」インスタレーションは、見る者の体、目、心に影響を及ぼすように、光と空間を活用しています。錯覚と知覚心理学の勉強したことに基づき、彼のアートは、ただ他の物を照らす素材以上に、光自体を「もの」として捉えるように仕向けるのです。
静かな丘の上に建つ「光の館」は、支柱のある縁側や緩やかな傾斜の屋根のある日本の伝統的な数奇屋形式で造られています。信じられないことに、芸術祭前のピーク時だったにもかかわらず、畳の上の布団で16人は泊まれることができる家を私達は4人で貸し切ることができました。午後7時4分の日没と午前3時25分の日の出の時も、私達は仰向けになって寝ながら、1時間も屋根の開口部を眺めていました。「スカイスペース」の縁に隠されたLEDライトが、自然に変化する太陽光と交わり、純粋で豊かな色のフレームを作っていました。これは忘れられない経験となりました。
カタツムリ、丸ごとの魚の天ぷら、蟹、なすの小豆ソース和え、メロンのゼリー寄せなどの地元の料理をたくさん食べた後、私達は1階のお風呂で温泉を楽しみました。そこでは浴槽とドア枠の周りに張られたシンプルな光ファイバーの明かりが、大きな窓から入ってくる小さな月の光以外の唯一の明かりとなっていました。
ジェームス・タレルの「光の館」、夜の外観。
「光の館」の「スカイスペース」を通じて体験する夕暮れの始まり。
地元料理の豪勢な食事を退廃的にお腹に詰め込むアンディー、トレントとユランダ。
夕暮れもしくは朝焼け? 終わりもしくは始まり? 「スカイスペース」からの眺め。
「光の館」の正面階段で、出迎のトレント。
家の中の温泉に向かって階段を降りるユランダ。
暗がりの中の入浴するアーティストの姿。
全てが静かで、全てが輝いている。
お風呂からの映画のような眺め。
朝の4時頃の「光の館」の空の眺め。
「光の館」での朝4時30分の日の出。
日記
2012年7月15日
権兵衛さんはカラオケ・キング
ユランダ・ブレア
今朝、私たちはご近所に住む権兵衛さん(77歳)とスミ江さんご夫婦を訪問しました。お二人のお住まいは築160年の古民家で、この地域では最も古いもののひとつだそう。初めは簡単なご挨拶に立ち寄るつもりでしたが、たくさんのお餅とお茶をご馳走になり、気が付いたら、いつのまにか2時間が過ぎていました!それはとても素晴らしくて奇想天外なご挨拶回りとなりました。
スミ江さんは浦田で生まれ、彼女が今日暮らしているこの民家で育ちました。権兵衛さんは、ここから15キロほど離れた町で幼・青年期を過ごされたそうです。お見合い結婚で結ばれたお二人ですが、とても釣合いの取れた幸せそうなカップルに映りました。ゴンベイさんは自他共に認める外交的な性格の持ち主で、とても生き生きとした表情でおしゃべりを続けられる様子からは、人生を謳歌している様子が伝わってきました。一方、スミ江さんは、落ち着いた穏やかな物腰で、そんな二人はとても息のあった組み合わせだと思います。大介さんが快く通訳を引き受けて下さったおかげで、私たちは彼らの浦田での生活や、過去50年間に起きたここでの暮らしぶりの変化について、多くのことを知ることができました。
お二人から聞いた話では、第二次世界大戦直後の数年間で、集落の社会構造が劇的に変化し、また、日本経済の停滞により、より多くの住民が職を求めて都市へ移ることを余儀なくされたそうです。そして、このような状況がそのまま続き、浦田地区や周辺集落での過疎化が進んでいったのです。
私たちは、祖先の霊を祀る日本の仏教行事のひとつで、もうすぐやって来るというお盆祭りについても話をしました。お盆は今日、8月中旬に家族が集うための休日のような役目を果しているそうで、人々はこの期間に故郷の家族のもとに帰り、先祖のお墓参りをします。権兵衛さんご夫婦の成人した二人のお子さん達も来月、東京から浦田に帰省されるそうです。権兵衛さんは、お盆の間に集落の人達が集まって踊る地元の伝統的な盆踊りが、多くの人々に忘れられていることを嘆いていました。数年前までは、浦田地区の皆が集まって、一緒に食べたり、飲んだり、踊ったりしてお盆を祝いしたそうですが、最近のお盆は、より家族的な内輪でのイベントへと様変わりしているようです。アンディーは、今年のお盆には浦田地区の皆さんを交える形で、何らかのパフォーマンスかイベントを開催したいと乗り気になっています。
権兵衛さんは、大のカラオケ好きでもあります。権兵衛さん曰く、昔の伝統的な歌を現代のカラオケに乗せて歌うことで健康と若さを保つことができる、とのこと。彼は、地域のカラオケ大会にも出場していて、多くの賞を手にしています。私たちはまた、自宅の古民家でカラオケにあわせて優しく歌う権兵衛さんが映っているDVDを見せてもらいました。それは、外出するのもままならないほど積雪した冬に撮影されたものでした。権兵衛さんの歌の間には、ふきのとうを探しながら雪の積もった野山をスミ江さんと一緒に散策する、ほんわかとした雰囲気につつまれた二人の姿が映っていました。ふきのとうは緑色をした山菜のつぼみの一種で普通は天ぷらにして食べるそうです。私たちはこの優しいご夫婦にすっかり魅せられてしまいました。このお二人には、オーストラリア・ハウスでの作品制作にもかかわっていただきたいと思い、現在、計画を練っているところです。
カラオケで日本の伝統的な歌を熱唱する権兵衛さん(DVD映像)
権兵衛さんとスミ江さんが自ら収穫した稲藁を使って作った雪長靴
オーストラリア・ハウスの裏にある権兵衛さんとスミ江さんのお住まい
権兵衛さんと一緒に
スミ江さん - 浦田の美しい自然に囲まれて
ブルックとアンディー - 権兵衛さんご夫婦宅の玄関先で
オーストラリア・ハウスにて - 窓からの景色を眺める権兵衛さんご夫婦と合田大輔さん。合田さんはユランダの友人で瀬戸内からはるばる会いに来てくれました。
オーストラリア・ハウスに現れた鏡の空間にご満悦の様子の権兵衛さんご夫婦。権兵衛さんは「ここでカラオケをご披露したい」とのこと。
日記
2012年7月13日
テイスティング・テストと作品模様の確認
ユランダ・ブレア
昨夜、人生で初めての地震を経験!10秒にも満たない短いものでしたが、私たちが目を覚ますには十分なものでした。オーストラリア・ハウスに最後の仕上げが施されるまで、私たちは集落センターに泊まって、畳の上で布団で寝ています。地震の揺れが体に伝わってきて、私たちはとてもドキドキしました!
アンディーは、今日は、生産的な一日を過ごした様子。彼は、クイーンズランド州の農村部で育ったため、大地がもたらす恩恵を上手く活用するための様々なスキルを身に付けていて、メルボルンでも、公共の場所に自生しているハーブや野菜などを探して採取していました。そして現在、彼は、シェフであるとともにアーティストとしても活動しています。彼のアート作品は、現代的であり伝統的でもある農業や食べ物の調理方法を取り入れて、摂食や個人のアイデンティティー、コミュニティー、儀式、儀礼間の関係を探るものです。
浦田で迎えた初めての朝、アンディーはアーティストで"ハウスメイト"の羽鳥大介さんと一緒に、浦田山の山頂に登りました。羽鳥さんは東京のご出身ですが、過去10年ほどアメリカで暮らしていた方で、現在は浦田に拠点を移し、地元コミュニティーの活性化のため地域で雇用されています。大介さんとアンディーは山に植物採集に出かけ、その辺りに自生している紫色の紫蘇を摘んできました。アンディーは戻って来てから、半熟の目玉焼きをのせて薄く削った鰹節をまぶしたホカホカの炊きたてご飯に、もぎたてのトマトという朝ごはんを用意してくれました。それはとても「オイシイ、オイシイ」朝ごはんでした!
アンディーはその後、大介さんと一緒に、彼が地域住民の方々に英語を教えているという近くの村へ出かけていきました。そこで、アンディーはカズエさんという方と親しくなりました。アンディーは英語レッスンの後、カズエさんから、越後の人々が夏にスープの代わりに食べているという胡瓜の調理方法を教わりました。彼は早速、夕食に、その料理と、オーストラリア・ハウスの近くで摘んだキャラブキと呼ばれる細長い植物をカズエさんに教わった方法で調理したものを用意してくれました。
日が暮れてから、ブルックとトレントは、壁の作品とネオンのデザインを確認するため、プロジェクターとパソコンを持ってオーストラリア・ハウスを訪れました。このような形で空間に活力が満ちるのを目の当たりにでき、とてもワクワクしました。ブルックの作品には、人目を引く菱形の放射状の模様が用いられていますが、これは彼の祖先である先住民ウィラジュリ(Wiradjuri)の人々が使用していた盾や木彫りに施されていた模様です。プロジェクターがオーストラリア・ハウスに映し出したイメージは、とても力強くて鮮明な万華鏡の様な効果を生み出しました。また、壁に設置されている鏡によって、この模様が、ガラスの扉を突き抜け山並みに向かって、空間に飛び出してくるように見えました。これから絵の具が塗られていくのが楽しみです!
生産的な一日を過ごしたアンディー
夕食用のキャラブキを調理するアンディー
朝食で食べた鰹節
カズエさんとアンディー
紫蘇の葉
トレント、ユランダ、ブルック - 集落センターのキッチンにて
トレント、大介さん、泰子さん
胡瓜とキャラブキの調理方法をアンディーに伝授するカズエさん
ブルックの壁のデザインをパネルに映し出して確認
鏡の家!ブルックの壁のデザインを確認
壁に複数の異なるデザインを映し出して確認中のトレントとユランダ
テクノロジーの魔法! プロジェクターを用いて模様の様々なサイズを確認するブルック
日記
2012年7月11日
こうして物語は始まった・・・
ユランダ・ブレア
今日、東京から新幹線で、越後妻有に移動。それはとてもスムーズで快適な旅で、私たちの胸は、これから始まるプログラムに対する静かな期待で満ちていました。密集した東京の喧騒から離れるにつれ、景色は青々とした木々、山や緑に変化していきました。
私たちが十日町駅に到着すると、NPO法人越後妻有里山協働機構のコーディネーター、林泰子さんが出迎えて下さり、浦田に連れて行ってくれました。車でオーストラリア・ハウス近くまで移動し、新たに完成した建物をついに目の当たりにした時には、とても感動しました。オーストラリア・ハウスは、急な傾斜のある屋根と鋭い角度の壁に囲まれた空にそびえ立つような三角形の構造をしており、まさに目を見張るような建物です。曲がった道路の先に隠れたように佇んでいるため、突然目の前に現れるこの鮮烈な建築物には驚かされます。
オーストラリア・ハウスの中は明るくて温かみがあり光に満ちていて、とても居心地の良い、快適な空間が広がっています。ガラスパネルと天然の木材が、背景の緑と繊細かつ穏やかに同化するアンドリュー・バーンズによるデザインからは、飾らない気品が感じられます。
ブルックは、蝶番で一分の隙もなく連結された彼の作品が設置される1階の壁を見て、その職人技に大変感動していました。彼は、今年の大地の芸術祭で、自らの祖先から受け継いだ先住民ウィラジュリ(Wiradjuri)の文化的遺産や伝統と浦田地区住民の話を題材にした印象的な壁画とネオンで作られたテキストのインスタレーションを制作します。『ディラン・ンラング(山の家)』と題された彼のインスタレーションは、オーストラリア・ハウスに恒久設置されますが、隠しておくことも可能です。
アンドリュー・バーンズのデザインによる鮮烈な三角形のオーストラリア・ハウス
気品に満ちたデザイン
オーストラリア・ハウスのベランダにて-アンディー、ユランダ、ブルック
新しく建設されたオーストラリア・ハウス
オーストラリア・ハウスの二段ベッド - 6人まで就寝可能
トレント、アンディー、ユランダの三人で、オーストラリア・ハウスの中を探検
オーストラリア・ハウスに差し込む黄金の光の中に佇むアンディー、ユランダ、泰子さん、トレント
オーストラリア・ハウスの近くで夕日を浴びるアンディー
ニュース
2012年7月11日
再生オーストラリア・ハウスでのアーティスト・イン・レジデンス開始
メルボルンを拠点に活動するオーストラリア人アーティスト、ブルック・アンドリューとアンドリュー・リワルドが、新潟県十日町市浦田地区に誕生する再生オーストラリア・ハウスに滞在する初めての作家となります。彼らがそれぞれ制作する新たな作品は、2012年7月29日から9月17日にかけて開催される大地の芸術祭 - 越後妻有アートトリエンナーレ2012で披露されます。
ブルック・アンドリューは、作品を通じて、社会の主流から取り残され、隠された歴史や文化、集団的記憶の探求を試みる多様なメディアを扱うアーティストで、広告やメディアの手法を用いて、現代のグローバルな文化の中で、表現されているもの、また沈黙させられているものを浮かびあがらせます。
アンドリュー・リワルドの創作活動は、食べ物 - 主にその栽培・調理・消費 - を中心としたものです。彼にとって、食べ物や食にまつわる儀式は、特定の時間や場所、文化を表現するものであり、文化的相違を乗り越えるための強力な手段となりえるものです。
トレント・ワルターはブルック・アンドリューのアシスタントで、ブルックによるオーストラリア・ハウス・プロジェクトの成功を支えるため、現在、越後妻有に滞在しています。
ユランダ・ブレアは、大地の芸術祭-越後妻有アートトリエンナーレ2012におけるアジアリンクのアート・マネージメント・レジデンシー・プログラムでオーストラリア・ハウスに滞在しています。
本プログラムは、平成24年度文化庁文化芸術の海外発信拠点形成事業としての助成を受けています。
ニュース
2011年11月14日
第5回大地の芸術祭参加アーティスト、来日
2012年、第5回大地の芸術祭にオーストラリアより参加するアーティスト、ブルック・アンドリューが来日し、大地の芸術祭実行委員会と初顔合わせをしました。今後、2012年に入って本格的に芸術参加作品の構想に着手する予定です。彼は、芸術祭開催前後に越後妻有で滞在し、地域の方々と交流しながら作品を制作・展示することになっています。
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