越後妻有とオーストラリア
オーストラリアは2000年の第1回大地の芸術祭から毎回参加し、越後妻有と深く関わってきました。
それはまず、多くのオーストラリア人が「人間は自然に内包される」という芸術祭の基本理念に深く共感したことによります。日本有数の豪雪地帯であり、緑の里山が美しい越後妻有と、国土の3分の2以上を砂漠が占めるオーストラリアの風景は異なるものです。しかし、越後妻有の人々が祖先の知恵を受け継ぎながら厳しい自然環境と共存してきた点は、4万年前からオーストラリア大陸に暮らしてきた先住民達と共通しています。また、大地の芸術祭の里の目指す「世代、地域、ジャンルを超えた協働による地域の再生」は、21世紀の多民族国家として様々な人が違いを乗り越えて共に暮らすオーストラリアにとっても、示唆に富んだものとなっています。
こうした長年の交流の結晶として初代オーストラリア・ハウスが2009年に設立されました。以降、毎年アーティスト・イン・レジデンスや学生交流のプロジェクトを行うことにより、越後妻有とオーストラリアは関係を深めてきたのです。
2012年の大地の芸術祭では、2011年3月の長野県北部地震で倒壊したオーストラリア・ハウスに代わる建物が新築される予定です。プロジェクトは日豪の建築家、アーティスト、ボランティア、支援者など多くの人々の協力によって進められています。再生されたオーストラリア・ハウスは、震災からの復興の象徴として、様々な芸術文化活動を通して、日豪交流拠点としての機能を更に強化させていくことになっています。
オーストラリア・ハウス・プロジェクトの協働者からのメッセージ
オーストラリアと大地の芸術祭の里への参加の歩み
第1回(2000年)
- フィオナ・フォーリー「達磨の目」
- アン・グラハム
- ホセイン・ヴァラマネシュ「雪の記憶に」
第2回(2003年)
- アン・グラハム「スネーク・パス」
- ナイジェル・ヘリヤー「アメリカ米万歳」
- ジャネット・ローレンス「エリクシール/不老不死の薬」 - 恒久設置作品
- ローレン・バーコヴィッツ「収穫の家」 - 恒久設置作品
- ロビン・バッケン「米との対話」 - 恒久設置作品
- オーストラリア・アボリジニ現代美術展「精霊たちのふるさと」を「森の学校」キョロロで開催。
- オーストラリアのインディペンデント・キュレーター、サリー・コウコードが、短編ビデオ・フェスティバルサリ審査員に。
- 地球環境セミナーで、オーストラリア国立博物館館長(当時)ドーン・ケイシーがパネリストに。
- ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のキュレーター(当時)アンソニー・ボンドが越後妻有アート・シンポジウムに参加。
第3回(2006年)
- アン・グラハム「フィッシング・ハウス」
- ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」
- スー・ペドレー「はぜ」
- ベン・モリエソン「バーン・アウト2006 ラジオ・コントロール・イン・越後妻有」
- メルボルン市パブリック・アート・プログラム担当のアンドレア・クレイストがコーディネーターとしてレジデンス。
第4回(2009年)
- ルーシー・ブリーチ「口述の繊維」
- アレックス・リツカーラ「日本美術陳列室」
- リチャード・トーマス「OIKOS」
- キャス・マシューズがコーディネーターとしてレジデンス。
- • ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のアンソニー・ボンド副館長が越後妻有トリエンナーレのアート・アドヴァイザーとして貢献。
- オーストラリア・ハウス設立
2009年のオーストラリア・ハウス情報アーカイブ
2009年のオーストラリア・ハウス アルバム
2009年のオーストラリア・ハウス滞在日記
2010 (大地の芸術祭の里に参加)
- オーストラリア・ハウス
- アーティスト・イン・レジデンス・プログラム
- JAAMプロジェクト (日豪学生交流レジデンス)
2010年のオーストラリア・ハウス情報アーカイブ
2010年のオーストラリア・ハウス アルバム
2010年のオーストラリア・ハウス滞在日記
2011(大地の芸術祭の里に参加)
- 越後妻有アーティスト・イン・レジデンス・プログラム