越後妻有とオーストラリア
日本有数の豪雪地帯である越後妻有と、国土の三分の二以上を砂漠が占めるオーストラリア。緑の里山が美しい新潟と、赤土の大地がどこまでも続く南半球の大陸。一見、この二つにはあまり共通点がないように思えるかもしれません。しかし大地の芸術祭の舞台であるこの土地と、オーストラリアには深いつながりがあります。
それは一つには「人間は自然に内包される」というトリエンナーレのテーマが、オーストラリア人にとって非常に共感するものであるからです。オーストラリアは古い大陸であり、そこに4万年前から暮らしてきた先住民の人たちは、祖先の知恵を受け継ぎながら、厳しい自然環境と共存してきました。それは、トリエンナーレ第1回でのフィオナ・フォーリーの作品や、第2回のアボリジニ現代美術展「精霊たちのふるさと」の絵画にも見て取れます。
また大地の芸術祭では、越後妻有という土地にアーティストやこへび隊が入っていくことにより生まれる「コミュニケーションと共同性」が考えられています。その点でも、多民族国家のオーストラリアは、様々な文化的背景を持った人達が、違いを乗り越えて共に暮らす国を作っています。第3回にはインドネシア生まれで、現在はオーストラリアに住むダダン・クリスタントが参加しましたし、第4回に参加するアレックス・リツカーラは、エジプト生まれで今はメルボルン在住です。
更に「自然とアート」を愛するオーストラリアは、2000年に開催された第1回大地の芸術祭から、越後妻有と深く関わってきました。2003年のオーストラリアの作家の作品は、上湯の民家に恒久設置されています。また第4回の2009年にはアーティスト3人とコーディネーター1人が、トリエンナーレに合わせ、浦田の空家に滞在、制作し、集落の方、そして日本国内外の方たちとの交流を持ちました。そして2010年には、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムと日豪の学生達による「日豪交流レジデンス」 (JAAM: Japan Australia Art Musings) が行われ、日豪文化交流の場として多くの活動が展開されました。2011年3月12日、東日本大震災の余震により、大変残念なことに、オーストラリア・ハウスは倒壊致しました。初代オーストラリア・ハウスは失われてしまいましたが、大使館はこのプロジェクトを通じて培った皆様との関係を継続していくために努力していく所存です。引き続き皆様のご支援をよろしくお願いします。
オーストラリアのトリエンナーレへの参加の歩み
第1回(2000年)
- フィオナ・フォーリー「達磨の目」
- アン・グラハム
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ホセイン・ヴァラマネシュ「雪の記憶に」
第2回(2003年)
- アン・グラハム「スネーク・パス」
- ナイジェル・ヘリヤー「アメリカ米万歳」
- ジャネット・ローレンス「エリクシール/不老不死の薬」 - 恒久設置作品
- ローレン・バーコヴィッツ「収穫の家」 - 恒久設置作品
- ロビン・バッケン「米との対話」 - 恒久設置作品
- オーストラリア・アボリジニ現代美術展「精霊たちのふるさと」を「森の学校」キョロロで開催。
- オーストラリアのインディペンデント・キュレーター、サリー・コウコードが、短編ビデオ・フェスティバルサリ審査員に。
- 地球環境セミナーで、オーストラリア国立博物館館長(当時)ドーン・ケイシーがパネリストに。
- ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のキュレーター(当時)アンソニー・ボンドが越後妻有アート・シンポジウムに参加。
第3回(2006年)
- アン・グラハム「フィッシング・ハウス」
- ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」
- スー・ペドレー「はぜ」
- ベン・モリエソン「バーン・アウト2006 ラジオ・コントロール・イン・越後妻有」
- メルボルン市パブリック・アート・プログラム担当のアンドレア・クレイストがコーディネーターとしてレジデンス。
第4回(2009年)
- ルーシー・ブリーチ「口述の繊維」
- アレックス・リツカーラ「日本美術陳列室」
- リチャード・トーマス「OIKOS」
- キャス・マシューズがコーディネーターとしてレジデンス。
- • ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のアンソニー・ボンド副館長が越後妻有トリエンナーレのアート・アドヴァイザーとして貢献。
- オーストラリア・ハウス設立
2009年のオーストラリア・ハウス情報アーカイブ
2009年のオーストラリア・ハウス アルバム
2010 (大地の芸術祭の里に参加)
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オーストラリア・ハウス
- アーティスト・イン・レジデンス・プログラム
- JAAMプロジェクト (日豪学生交流レジデンス)
2010年のオーストラリア・ハウス情報アーカイブ
2010年のオーストラリア・ハウス アルバム
オーストラリアから大地の芸術祭へのメッセージ
ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館副館長
アンソニー・ボンド
「私は、2000年から開催されています大地の芸術祭に毎回参加させて頂いております。そして今回で4回目の参加となりますが、毎回ここに来ることは私にとって素晴らしい体験です。小さな集落の中の民家へと招待され、素敵な人々と出会い、そこに数週間にも亘って滞在したこともありました。こうした地域の方々とは、たとえ言葉が通じなくても、スムーズにコミュニケーションを図ることができました。ここでは誰もが大変熱心で、とても協力的です。つまり、地元の人達と国際的な芸術関係者との触れ合いがこの大地の芸術祭を他に例のない素晴らしいものにしているとともに、国際的な現代アートのフェスティバルの中でも、断然人々が楽しめるものとなっているのです。
また世界中から訪れるアーティストにとっても、越後妻有の景色や昔ながらの村々の中で制作をすること、それが特に民家などの建築物と関わることは、信じられないくらい素晴らしい機会なのです。
恒久的に設置された作品としては、山の中の古い村におけるジャネット・ローレンス、マリーナ・アブラモヴィッチ、ロビン・バッケンらのものから、七ツ釜にあるアン・グラハムのスネーク・パス、そしてボルタンスキーやタレルのもの、そして他の多くの作家によって制作された作品は、目を見張るものがあります。ここでは、世界中を探しても、これ以上ないほどの素敵なアートを体験させてくれると思います。」
ホセイン・ヴァラマネシュ
アーティスト
「私の『第1回越後妻有-大地の芸術祭』との関わりは、アートフロントギャラリーと北川フラムさんとの関係から始まりました。そして数多くのアイデアや展示の場所を模索しながら、最終的に「雪の記憶に」というインスタレーション作品を制作するという素晴らしい機会を与えて頂きました。
トリエンナーレのスタッフやボランティアの方々と協力しながら取り組むことは私にとって大変有意義な経験でした。ここ数年における大地の芸術祭でも、他のオーストラリア人アーティストたちが関わっていることを知っておりますし、今回のオーストラリア・ハウスの誕生は両国の文化的交流の更なる一歩だと思います。将来、大地の芸術祭を通じたこうした交流に私自身もまた携われることを期待しております。」
アンドレア・クレイスト
メルボルン市 パブリック・アート・プロジェクト・マネージャー
2006年のトリエンナーレと深く関わった私の心には、今でも芸術祭とこれに携わる人々が与えて下さった素晴らしい体験が深く刻まれています。
越後妻有-大地の芸術祭を訪れる人々は手厚い歓迎を受けます。私たちはまず、日本北部の息を呑むような風景の中に、人をひきつける選りすぐりのアート作品に出会うことができます。更に、地域の文化に触れ人々との交流を通じて地元特有の課題を理解すると同時に、普遍的な問題についても考えさせられます。広範囲にわたり様々な要素を取り込むこの遠大なアート・プロジェクトでは、人々が真に必要としていることや、人々の夢といった人間のスケールが強調されています。つまり、この芸術祭は地元に密着しつつも、その根底には世界的な視野、壮大かつ真摯な構想も流れているのです。
新潟の広大な地域に作品が設置されているため、このトリエンナーレを容易に周ることはできません。まるで人生そのものやその複雑さを表すかのように、巡礼のごとくゆっくりと丁寧に巡っていくようにできているのです。大地の芸術祭は今後も成功し続けると思います。これは、トリエンナーレの主催者、ボランティアの方々、参加アーティストの献身的な寄与と、人情に溢れ暖かく人々を迎え入れる日本の地域社会の開放性を証明するものです。
スー・ペドレー
アーティスト
越後妻有を初めて訪れたのは、2004年秋、農家の方々が稲の収穫で大忙しの時期でした。「大地の芸術祭 2006」で制作する作品のリサーチの為、訪れたのです。私の作品は500枚のウールでできたタペストリーに伝統的な織物模様を刺繍するというものでしたが、こへび隊(都会からのボランティアの方々)の助けもあり、年齢を問わず地域の皆様にご協力頂きました。その2年後の夏、作品を設置するために再度やってきました。松之山の青々と茂った風景を歩き、また、松口という小さい村では御田植祭りにも参加し、心躍るような体験をすることが出来ました。
高いはしごに登り、タペストリーを「はぜ」という稲を乾燥させるための木でできた骨組みのようなものに取り付けました。制作中、強い雨が降った際には、近くの倉庫にみんなで身を寄せ、お茶を飲みながら、笑い、歌いました。作品に取り組んでいく過程において農家の方々とこへび隊の間に強いつながりができ、こへび隊は収穫時期にもまた手伝いに来ることを約束するまでになりました。
トリエンナーレ開催中は、山々を巡り、地域と深く関わる素晴らしい作品を楽しみました。どの村においても、古くそして多くは空屋となった木造の民家がアーティストや建築家によって修復されたり、インスタレーションの場になったりしていました。ある家では、建築を学んでいる学生たちが、家の床や梁の表面を彫り、煙で黒くなった何重にもわたる層を取り払っていました。
ジェニー・ホルツァーの挑発的な言葉などが彫り込まれた石が道しるべとなっているブナの木の林での散策は私にとって最も印象深い作品の一つでした。そしてもう一つはマリーナ・アブラモヴィッチの「夢の家」で、地元のハーブ一杯のお風呂に入り箱の中で石の枕をして、一晩過ごしたことは忘れられない体験となりました。
地元の方々、またあらゆる場所から集まっているアーティストやボランティアの方々と出会えたことは大変有意義でした。大地の芸術祭を私は忘れることはありません。