日記
上越日豪協会 矢頭治
2011年8月16日
キムさんの「Skin」は風に舞って
小谷集落を訪れてKim Andersonさんが作品を制作している古民家の玄関を入ると、「こんにちは」と日本語で、少しはにかんだ様に迎えてくれました。村人との交流をお手伝いするつもりでしたが、神戸でのALT時代に覚えた日本語とにこやかな笑顔で村人との会話は十分でした。何だ、私の下手な英語など必要ないじゃないかと、私はすっかりお客さん気分になってしまいました。
静かな休日の午後に、村の古老たち、ボランティアの若者たち、都会からの訪問者たちがやってきて、それぞれがそれぞれのやり方でKimの和紙の上に自らの体の跡をペタペタとペイントしていきました。子供の時、やってはいけないと止められたことをやって、こんなに楽しいことはありませんでした。
時折のそんな訪問者の賑わいを除けば、夏の村は静かでした。Kimはひたすら製作に励み、私は囲炉裏端に座りこんで古民家に刻まれた時間の移り変わりを見ていました。囲炉裏端から勝手口を通して古びた隣家が覗き見られ、そのさらに奥には古い神社がありました。神社を樹齢600年の欅やそれに匹敵する杉などが囲んでいました。Kimはその古木の樹皮を和紙に写しこんでいました。さらに参道の石道、古民家の板壁なども写していました。
Kimは表面が本質に直接関係していて、表面をとおして本質を表現したいと繰り返し強調していました。地元で作られた半透明なほど薄く美しい和紙の上で、風化しつつある集落の事物の表面が写しとられて集落の歴史を語り、その上に村の古老や訪問者の手足がペイントされて個人の歴史が重なっていきます。
完成したKimの作品は農舞台の展示室に並べてかけられていました。私は小谷集落の時間の中に溶け込んでいる自分の跡を見つけました。Kimの作品に写しこまれた集落と個人の歴史は厚く重なりながら、しかし心地よい空気の僅かな動きの中で緩やかに舞っていました。
後日、Kimは直江津の捕虜収容所跡を訪問しました。この地にはその歴史にもかかわらず夏の明るく爽やかな海風が吹いています。ここでの歴史と現在の重なりに違和感を持つのか、そうではなく他の見方もあるのか、Kimの感じるものを聞いてみたいと思います。
キム•アンダーソン
2011年8月8日
オープニングとクロージング
全く...悲しいことに、1ヶ月が過ぎ私のレジデンシーも終わりを迎えた。まるでジェットコースターのような日々で、めまぐるしく沢山の事が起こった。いったい時間はどこへ消えてしまったのだろう??!
ここ2、3日があまりに多忙で、少し呆然と魂が抜けたようになってしまった。金曜の午前中、まつだい農舞台ギャラリーで十日町市ラジオ局のインタビューを受け、夕方には三省ハウスでワークショップをしなければならなかった。このワークショップは思ったよりも上手くいったのだが、テレビ局の人達がいたので物凄く緊張してしまった!バララットから出て来た小さなキムにはこれだけメディアからの注目が集まることにちょっと圧倒されてしまう!ワークショップに慣れるまで少し時間がかかったが、暫くすると、皆制作に没頭したように見え、素晴らしいドローイングが何点か出来た。今回のワークショップのテーマは「足」で、お互いの足を観察して行うデッサンと実際の足型の写し取りの二つから成る。
「足」をテーマに選んだのはまつだい農舞台ギャラリーでの私の展覧会に関連しているだけでなく、お互いの足を描くということは「打ち解ける」のに良い方法だからだ。鏡を使わない限り見ることの出来ない自分の足の裏を他人に、それも間近で見させて描いてもらう事は信頼の証に他ならない。日々の生活で酷使する足には沢山の線や皺があり、それはその人が何処で何をしてきたかが分かる地図のようなものだ。足型を取ることは、足によって身体的にある場所と繋がり、新たな土地や馴染みのある土地へも導かれる事に気づかせてくれる。このコンセプトを気にしない参加者もいたかもしれないが、彼らも少なくとも楽しんで制作をしているように見えた。
土曜日は子供たちが戸外で見つけてきた自然の素材を使って自分の小さな空間を作り上げるというCreative for Humanityのワークショップに参加した。本当に素晴らしい空間がいくつか仕上がり-完璧な夏の隠れ家となった!昼食後、その小さな空間を全部繋げて大きなスペースが作られた。それはまさに前日の夜に描いたドローイング用の屋外展示場となった。また体育館と展示場の間に足型をつけた小道も作った。本当に見事としか言いようがない!今まで見た中でも一番の屋外展示場だし、あのグッゲンハイムよりも断然凄い!残念なのはこれが一時的な展示で終わる事だが、こういうものの素晴らしさというのは、ある意味それが、つかの間のものであるからだと思う。
日曜の午前中、田島征三の「絵本と木の実の美術館」で行われた特別展のオープニングに出席した。ここは越後妻有の中でも私の大好きな場所のひとつに数えられる。田島さんに実際にお会いしとても興奮し光栄に思った。彼はとてもお元気で、人に刺激と希望を与えてくれる方だ。その作品は私を高揚させ、心を蝶のように軽くさせてくれる-私に笑顔をもたらし、心配ごとも忘れさせてくれる。
もちろんその後は私の展覧会のオープニングを控えていた-悲しくもそれは私のレジデンシーの最終日を意味した。まつだい農舞台で最後の仕上げをし(最後の作品2枚を加えた)写し取りの作業に参加して頂いた方々の名字を加筆した(全員で70人以上)。そうしたらとても緊張してしまい、午後5時半の開始までの30分間は事務所に隠れていた。
しかし実際には、全て上手くいった。十日町市長、在日オーストラリア大使館の職員、北川フラム氏(大地の芸術祭総合ディレクター)をはじめ、多くの方々がいらして下さった。嬉しいことに小谷集落のお年寄りの方々もだ!私に最大のインスピレーションを与えてくれた彼らに会場で会えて感激した。彼らもこの機会にとても興奮していたようだった。彼らから頂いた胡瓜のお陰で長時間の制作もやり遂げられた事に深く感謝の意を述べた。皆、作品を楽しんでくれたように見えた。私の作品に込められている多少抽象的ではあるコンセプトを理解してくれていたら、と願っている。
この場にただ唯一いなかったのは私の家族だった。精神的には私と一緒にいてくれていると分かっていても。そのことを思うと、三省ハウスでの北川さんのドローイング・ワークショップに参加した晩のことを思い出す。北川さんは私たちに「自分にとって一番大切なもの」を描くようにと言った。そして私は選択できなかったので、紙の片側に制作中の自分を、裏には私の家族を描いた。前者は昨晩私と共にあり、後者の家族は共にいてくれたらと心から願っていたにも拘わらず、いなかった。でも時として二つは共存出来ず、それ故、ドローイングが別々の面に描かれていることの意味が重要となるのだ。これはアーティストである続けることの困難の一つである。
そうして-全て終わり、この経験から、悲しみ、安心、喪失、当惑、疲労を感じるが、まだワクワクもさせられる。ストレスや感情の浮き沈みもあったが、ここでの経験は素晴らしく、越後妻有は私の心と精神の中に確かに入り込んだ。今はそれを心に留め、(私のテーマにしたがって)深く皮膚に浸透させたい。また同時にアーティストとしてここにいるうちに、もう少し制作をしたいと思っている。いつももう少しできることがあり、制作には終わりがない。去るのは本当に悲しいけれど、これがお別れではないと望んでいる。何とかして、いつか戻ってきたい...。
今のところ、「じゃ、またね」。
上越日豪協会 柴田美代子
2011年8月7日
キムさん展覧会
気温が30度を超え真夏の太陽が照りつける中、豪雨の影響で1週間延期となっていたキム・アンダーソンさんの展覧会「スキン」オープニング日を迎えました。
会場である農舞台展覧室入口に立つと、ガラス張りの壁越しに見える緑を背景に作品である十数枚の和紙が天井から吊り下げられている様子が見えました。人の動きで揺れる和紙と、ガラス越しの日差しと緑が美しい空間を成していました。
地元の皆さんを始めキムさんの作品制作場所を訪れたみなさんの手形足形、地元の大地や樹木のフロッタージュ、一つ一つの作品ごとに名前がつけられていました。作品番号・作品名が書かれた紙を片手に手形足形の主、大木の歴史にも思いを巡らせながら作品を見て行きました。
私を含め、制作に多少なりと関わった人たちは、自分の手形足形が、またはくしゃくしゃに丸めてアイロンをかけたあのたくさんの和紙がどんな芸術作品になるのだろうかと作品の仕上がりを楽しみにしていたことと思います。
今日は完成したキムさんの作品に触れ、展示空間、それぞれの作品の美しさ両方を満喫しました。日差しの入り方で作品がまた違った見え方をするとのこと。時間を空けて作品を2度見るというのも妙案かと思いながら会場を後にしました。
キム•アンダーソン
2011年8月4日
慌しい時間
先週の日曜に向けて展覧会への緊張感が最高潮に達した後だからか、今週は不思議なほど魂が抜けたようだ - とは言え、まだ足を上げてリラックスできる状況ではない。実際、あれだけ根をつめて制作活動をしていたので少し疲れているように思う。言葉にして表すのは少々難しいのだが、私の作品制作はとても個人的なプロセスで、創造力は内なる奥底にあるエネルギーから湧き出てくる。作品に息を吹き込み、表に出すことはとても疲れるものだ。おそらく、多くのアーティストたちにはよく分かることだと思うが...。
実際、制作が始まったばかりで、もっと作りたいと感じている!この土地は本当に創造力をかきたてる場所なので、もう少し長く滞在して全てを知り尽せたらいいのにと思う。特に集落の人達とふれあう時間をもっと持ちたかった。到着した時以外、あまりチャンスがなかったから。集落の人達は私がいったい何処へ行ってしまったのかと思っているのに違いない?!展覧会はもう始まってはいるが、まだアイディアを探求し続けたいと思っている。この機会を最大限に活用して私の芸術的発展に繋げたい。実はフロッタージュを何点か制作し、他にドローイングのアイディアも沢山ある-後日、ひょっとしたらこれらをオーストラリアで(もしくは日本で)展示できるかもしれない...
水曜日にはもう一回、松代の人達と身体の写し取りをするワークショップを開催した。今回は大変な人気で午後だけで30名以上の参加者がおり、前回と合わせると70以上の写し取りをしたことになる!私たちは更に2つの作品を仕上げ、それらを展覧会に加えるつもりだ。まさに色んな年代のグループが入り混じって嬉しかった-1歳児からかなりお年を召した方まで参加頂いたことで、バリエーション豊かな写し取りになり、とても興味深いものとなった。それに、午後は、やなぎココアちゃんの小さな犬の足跡が最初の型取りとなった!
今日は私にとって久しぶりとなる初めての「自由な」日だったので、手塚貴晴と手塚由比による素晴らしい建築作品の越後松之山「森の学校キョロロ」を訪問した。そこで2、3匹の「カエルのお友達」(もしかすると「ヒキガエルのお友達」かもしれない。)に遭遇し、それらの内3匹は今までも家から外に追い出したことがある。特に庄野泰子の「キョロロのTin-Kin-Pin-音の泉」、そしてまたジェニー•ホルツァーによる「ネイチャーウォーク」の石を追うがとても面白かった。
今日、少しゆっくり出来たのは良かった(とは言え、2-3時間はフロッタージュの制作もしたが。) 特に悲しいことに、私のレジデンシーの最後の3日間となってしまった残りの日にちはワークショップ、そして展覧会のオープニング(悲鳴!)で物凄く忙しくなるだろう。
キム•アンダーソン
2011年7月31日
期待はずれ!
さて、作品は設置され、照明作業も済み、全て準備万端...
...それなのに、展覧会のオープニングは来週まで延期!
金曜夜の驚異的な豪雨が地すべりや道路封鎖を引き起こした。ほとんどのスタッフがその晩、農舞台に泊まらねばならなかった。私は幸運にも7時頃に農舞台を後にしたのでぎりぎり家にたどり着けたが、雨の中の運転は酷いものだった。
自然災害にはまったくついていないらしい-最初に地震でオーストラリア・ハウスが倒壊し、チリからの火山灰雲でオーストラリアから日本への飛行機に影響が出て、そして今度は地すべり...世界に何か起きているのか???!!!! 初めての国際的な個展は天災に見舞われている...どうか展覧会自体が被害にあいませんように...。
結果、農舞台は展覧会オープニングを来週の8月7日(日)に延期することを決めたが、実際、展覧会自体は8月1日(月)から開催される。今日までのストレスのあげく-あれだけ追い詰められた後、あっけない結果となったのは少々違和感を覚える。突如としてもう1週間を得たので-更に何枚か作品を仕上げられるかもしれない...。
7月29日(金)に作品を展示し始めた-25枚の美しい和紙-紙自体が展覧会の主役でもある。耕太さんは設営と照明作業共に驚くべき素晴らしさを発揮してくれた-彼が天井にぶら下がり、足ではしごを動かす様を見るのは凄かった!!! ギャラリーのアシスタントはみなサーカスのトレーニングをしているべきと思った。
作品自体は-ドローイング、フロッタージュそして写し取りの混合で-そのうち写し取りには40人以上参加者した。展覧会を見て気に入ってはいる、しかし自分自身の作品である場合、その見極めはいつも難しい-さらに多く、良く出来たのではないかと常に思ってしまうのだ。
キム•アンダーソン
2011年7月28日
時は刻々と過ぎ...
この一週間というものずっと制作をしている。やることがありすぎるのに、時間がないときている!!! 私は完璧なパニック状態と、この短時間では目指していたことを成し遂げられない諦めの境地の間を行き来している。かつての小谷の「ジョギング少女」は今や「せむしの隠遁者」になっていて、連日連夜、自分の絵の上にかがみ込んでいる-更に残念なことに走って怪我もしている。何日も家からほとんど外出せず、昼夜の違いも分からない。集落の人達はきっと私が一体どこへ行ってしまったのか不思議に思っていることだろう??! 彼らには私がこの間ずっと制作と彼らの素晴らしい胡瓜を消費するのに忙しくしていると安心して欲しい。(日曜の夜、数えた時にはついに45本もの胡瓜が冷蔵庫あった!!!)。美しい村が窓の外から私に手招きしている。でも、制作が済むまで待たなくては...
とは言うものの...制作の緊迫さにもかかわらず、数多くの訪問者を迎え、そして一日は大地の芸術祭2012の現地見学会のため、スタジオを終日後にした。先週の土曜日は上越日豪協会の方々が訪問してくれた。おかしなことに、思いもよらずバララットつながりがあった。メンバーの一人の方の娘さんがちょうどバララットで家を購入し、移住する計画があるとのこと。そして彼らと一緒にいたオーストラリア人女性(協会の相互交換メンバーの一人)もバララットでハネムーンをしたという。時として狭い世界!に驚く。
日曜日に、大地の芸術祭2012と新しいオーストラリア・ハウスの現地見学会に加わった。ここ何日間で一番の遠出だったので、最初は気持ちがとても落ち着かなかった。スタジオで制作しない酷い後ろめたさに反して、外出は私にとって多分良かったのだろうと思った。新鮮な空気を吸い、私の制作を一歩引いて見るチャンスにもなった。それ以来、集中的に制作をし、短い時間にできる限りのことをしようとしている-私の作品は完成に20時間以上は要するので簡単ではないのだが...。私はもっと沢山のことをしたいと思っているが、この短時間ではそれはできない...。
月曜日には上越日豪協会のメンバーのご友人が私のために写し取りを喜んでしてくれた3人の男の子たちを連れて訪ねてくださった。NHKテレビ局の訪問も受け、これはかなりシュールな体験だった~トム・ウェイツの歌『ビッグ・イン・ジャパン』が頭の中でずっと鳴り響いていた。
それ以降ずっと、描いて、描いて、心配して、また描いて、心配して、もう少し描いて、さらにもっと心配している...。作品は徐々に完成しつつあるが、まだ十分とは言えない。展覧会までにあともう一週間あったなら、どんなにか幸せなのに...。今のところ40枚の和紙はだいたい25枚の作品にしかなっていない~多分、日曜の展覧会のオープニングが終わった後、何枚か作品を付け足すだろう。
明日は描き終えている作品をギャラリーのどこに展示するか考え始めなければならない~作品がみな一枚ずつ異なるので、簡単な作業ではないだろう。
展覧会に際して、こんなにも緊張することは今までなかった。展覧会のオープニングでは私は机の下に隠れていようかと思う、誰も私に気づかないことを願いながら...。
キム•アンダーソン
2011年7月21日
そこらじゅう紙だらけ...
週末にかけて大勢の訪問者の後、月曜のオープン・スタジオは祝日ではあったが、とても静かなものとなった。ある意味、更に制作を進めることができ、展覧会について少し考えを鮮明にするのにはむしろ良かった。上越日豪協会の近藤芳一さんとまつだい農舞台ギャラリーの天野耕太さんに今日の午後は私にお付き合い頂いた。二人とも身体の形を写し取る作業にとても喜んで参加してくれ、本当に良かった!しなやかな身体で、墨汁で身体が覆われることを怖がったりもせず、私たちは一緒に満足のいくとても素敵な写し取りを何枚か制作した。
耕太さんと芳さんが帰った後、私は空き家の外壁のフロッタージュをした。それはちょうど夕暮れ時で、空は茜色でとても静か(蝉の鳴き声は恒常的な背景雑音として慣れてきている)だったのでむしろ薄気味悪いほどだった。その後、地元の村の方が見たことのないような大きなズッキーニを持って訪ねてくれ、実りある一日の締めくくりとなった!これはその日の朝、ちょうど朝のジョギングから戻ってきた時にもう一人のお隣さんから持てない程の胡瓜や茄子を頂戴したあとの事でもあった~私が野菜好きで良かった!!!隣人のみなさんは本当に親切で、何かお返しができたらと思う。少なくとも彼らのために素晴らしい作品を創らなくては。この土地と人々の両方からひらめきを与えられた作品を...。
ここ三日間は仕事漬けになっている。ゆっくり形になりつつはあるが、やるべきことが多すぎて、時々どこから手をつければよいか分からなくなる...私の食堂兼居間はすぐに和紙に占拠されている。むしろ、それだけで興味深いインスタレーション・プロジェクトのようだが、完成には程遠い。台所に行くまでに和紙のカーテンを通って行かねばならず、こんなに大きなスタジオが自宅にあるとはなんて豪勢なのだろう!
正直なところ時間が早く過ぎていくことについて少々パニックしかけている。正気を失ったようにフロッタージュをし、ドローイングをしているが、その速度は十分とはいえないようだ。今日は集落のある人の足を10時間休みなく描いた。実際のところ、自分が撮った写真を観察しドローイングするのは興味深いプロセスで、他の誰よりも深くこれらの人々を知り始めている。彼らの肌にある短い線ひとつひとつや、彼らでさえ今まで気づかなかった細かな部分を見て、大変な注意をもってそれらを描くことに全力を尽くしている。これは特権でもあり、アーティストとして私にとっては特別な事の一つでもある。
とにかく、仕事が山積みで遅れることはできない...。ただ今日の短くも楽しいひと時は小学生たちの最初のグループが三省ハウスにやってきた事だった。今晩、部屋中が明るく、彼らの声が溢れるのは本当に素晴らしい!しばしひと時の間、展覧会への心配を忘れさせてくれた...
キム•アンダーソン
2011年7月17日
制作が始まる・・・
和紙が届いて以来、物事が凄く早く進展していっている。そのため、私は全身全霊仕事に没頭している!睡眠や他の楽しみは今のところ先延ばし...。残りの40枚の和紙も土曜(昨日)の朝に届いた。ありがたいことに、週末のオープン•スタジオに間に合った。今度こそ、本当に仕事が始まった...。
昨日(土曜日)と今日、地元の人達が上屋敷に来て私の仕事を見学し、また作業に参加するオープン•スタジオがあった。最初にせねばならないことは紙すき師さんが実演してくれた伝統的な方法で紙を準備することだった。 和紙40枚をくしゃくしゃにして伸ばさねばならず、その丁度良い頃合に素晴らしいチームが到着した。この越後妻有への訪問者達は、そんな事をすることになろうとは思いもよらなかっただろうが、彼らのおかげで物凄く飽き飽きするような作業がより簡単で楽しいものとなった。
声をかけていた地元の小谷の方々の手や足の形を写し取る作業をした。それもかなりの人数の方がしてくれたのだが、私は事前にもう少し深く細かい技術的なことを考えておくべきだったと反省した。墨汁の扱いは慣れるのに時間がかかり、適切な濃度にするのも少々難しかった。でも最後にはいくらか上手くいったので、それらを使って作品づくりができるだろう。
今朝、きゅうりがもう一袋、ご年配のお隣りさんから届いた。これで、一週間に様々な出所からきゅうりの袋が三つも届いたことになる!本当にこの集落の人々は素晴らしい。そして私が野菜好きで本当に良かった!!! 今日のオープン•スタジオはずっとスムーズに運んだ、更に多少単純化されつつはあるが、今回の展覧会のコンセプトがまとまり始めている気がした。三省ハウスからのこへび隊は顔の写し取りをとても楽しんでいた、そして東京からの建築の学生達は素晴らしい耳拓をしてくれた!どうしたものか、この写し取りのアイディアは私から飛び出していっているような気が...?
こうして、私は時として物事は自分のコントロールを越えていくということを学んでいる。そのため「流れに身を任せる」のに十分な順応性を持ち、予想外の結果に応じるために芸術的なアイディアを絶えず磨いていなければならない。明日もオープン•スタジオをする日-そこで何が起こるかなんて誰にも分からない...ただ、私は心の窓を開けておくだけ?!
キム•アンダーソン
2011年7月13日
地元の方々と知り合う
日曜の午後、地元の人たち(そのほとんどが高齢者の方々)のための「体操教室」に参加すべく小谷の公民館に招かれた。実際はとても楽しく、私が80代になった時に彼らのように元気いっぱいで笑顔を絶やさずにいられれば、と思った!
体操とゲームの後、正式に紹介され、私の作品について写真を見せながら話をすることができた(会場は突然の緊張に見舞われたが、雄介の素晴らしい通訳のおかげで、どうにか自分の構想を伝えることができたと思っている)。参加者の方々は受け入れて下さり、皆さんの手と足の写真を快く撮らせて下さった。それは彼らが自分の人生の営みを伝える皺や皮膚にできたタコを見せたいからではないかと感じた。彼らにとって長年、厳しい自然と闘ってきた皮膚は、隠すものというよりむしろ誇りなのだ。
まず、最初のきゅうりの入った袋を受け取り、それは次から次へと続くことになる。これが証明しているように、私は今や何人かの祖父母を持つことになったようだ。それはまんざら悪いことではない!
月曜の午前中に三省ハウスの女性たちが私をまた招いてくれた。花壇で働いているところを写真に撮り、それは彼女達が実際に仕事をしているところ見られる良い機会ともなった。
必要としている和紙の準備が整うまで、展覧会のための制作を始めることができずにおり、月曜、火曜、そして今日も少々手持ち無沙汰の状態でいた。これ以上やることがない状態になったので、この時間を農舞台の裏にある里山アート遊園地やジェームズ・タレルの「光の館」を探索する良い機会と決めて訪れた。それは本当に素晴らしい経験となった。
火曜の夜、私は小谷の公民館に再び招かれた。今回は地元の男性陣との会合であった(晶子さんが付き添って下さった)。絶えずアサヒ・スーパードライがグラスに注がれることにより随分と盛り上がった会となり、私は自分やオーストラリア全般について、沢山の質問を受けることになった。晶子さんは素晴らしい通訳をして下さったが、私は自分の日本語がもっと早く上達すればよいのにと思った。一度、学んだこと全てを覚えていられるようにもっと頑張らなくてはならない。
今日、やっと、少しではあるが私の和紙が届いた...まさにパニックし始める寸前のところだった!!! 展覧会をまとめるのに2週間というのは今までの経験で一番厳しいスケジュールである。これからは、寝ずの日々が続くことになるだろう...
キム•アンダーソン
2011年7月8日
越後妻有に到着
昨日、越後妻有に着いた後、切望していた睡眠をとって英気を養い、今朝には仕事にとりかかる準備ができていた。 まず最初に、井口雄介さんと上屋敷 (私の住んでいる家)のすぐそばにある三省ハウスを訪れ、そこで働く飛田晶子さんと地元の女性達にお会いした。大変温かく、漬物と煎茶で迎えて頂いた。更に彼女達の手や足の写真まで何枚か撮ることができた。彼女達の手や足の写真を撮ることを快諾して下さり、私の考えている作品制作の良いスタートを切ることができた!
その後、展覧会のために必要な紙を調達すべく、耕太が私達を地元の紙すき工房へ車で連れて行ってくれた。凄い...なんて素晴らしいところなんだろう。この工房で見事な技を見ることができ、私は何て幸運なんだろうか。公房はとても伝統的で、5世代にわたって紙すきをしているそうで、現在の親方はこの仕事について40年とのこと。和紙とその制作行程など多くを学び、何と言っても紙好きの線描画家としては、細心の注意を払って作られたこんなにも美しいものを使えるのだと思うと本当に興奮した。私の展覧会のコンセプト全体において-楮の木の成長から作品の展示に至るまで‐地元の素材を使用することは重要で、これらはすべて繋がっている。
松代と松之山にある市役所の支所へも、地域の地形図を手に入れるために訪れた。どうにかしてこの地形の線というモチーフ(ある意味「皮膚」みたいなもの)を、そこに実際に住んでいる人々の肌の線と重ね合わせたいと考えている。展覧会の題名を「Skin – 皮膚」としたのもそのためだ。まだどうやって目に見える形とするか分かっていないが、「皮膚のように」透き通る紙の上に線が重なるのを思い描いている。
その日の夜、地元を知り尽くした晶子のおかげで、素晴らしい蛍の景色が見れる場所へ案内された。あんな景色は今まで見たことがなかった。これは私にとって実りある一日の締めくくりとなった。少なくとも私の構想を明確にするということに関しては。ただそれをどう視覚的に展開していくかはまだ見えていない...
キム•アンダーソン
2011年6月24-27日
越後妻有訪問
6月24~27日(金~月)の越後妻有への訪問はつむじ風のようなめまぐるしさではあったが、良いものとなった。とても短い旅程ではあったが、7月7日に正式に滞在制作が始まる前に浦田地区と展覧会場となる農舞台を視察し、大変有意義なものとなった。
メルボルンから東京に着いてすぐ、オーストラリア大使館の徳仁美さん、NPO法人越後妻有里山協働機構のウォラル美和さん、私の滞在制作のコーディネーターであるアートフロントギャラリーの井口洋介さんとお会いし、プロジェクトの内容やスケジュールについて話し合いをもった。その後、光栄にも2012年オーストラリア•ハウス設計提案公募も告知する企画発表会に出席し、越後妻有のスポンサーやサポーター、アーティスト達、その上、在日オーストラリア大使にお会いする素晴らしい機会に恵まれた。越後妻有アートトリエンナーレは大変活気に満ちた構想であり、このプロジェクトに関われるのをとても嬉しく思う。日本にわずか数時間いただけなのに、もう既に、今後また日本に戻る手段を画策してしまう!
土曜日は美和さんと一緒にまつだい農舞台へ行き、私の展覧会を手伝ってくださる天野耕太さんや他のスタッフの方々にお会いした。そして私が滞在制作する間、住むことになる民家も見に行った。農舞台では長く時間をとることができ、自分の展覧会の計画をたてるのに役立った。農舞台はかなり特色ある空間で、そこで展覧会を行うことは私にとって挑戦になりそうだ! 海外では滞在制作が始まる前に展覧会場を訪れる機会があるのは稀で、私にはより鮮明にどんな作品を生み出すかを思い描く素晴らしい機会となった。
土、日をかけてマリーナ•アブラモヴィッチの「夢の家」、クリスチャン•ボルタンスキー+ジャン・カルマン「最後の教室」と一緒に「脱皮する家」を訪れることができたことは幸運だった。このような素晴らしい国際的にも名高いアーティストの作品を見て畏敬の念を抱くと同時に、また地震によるダメージがみられることが悲しくもあった。出来る限り早いうちに、作品が元の状態に修理、修復され、人々が再び訪れることができるようなればと願っている。間違いなく今回の訪問のハイライトの一つである、田島征三の「絵本と木の実の美術館」は本当にうっとりする程素晴らしく感動を呼ぶもので、生涯私の記憶に残ることだろう!オーストラリアの人たちとこのような美しい場所を共に味わうことができたならどんなにか素晴らしいのに。
今回の訪問を通じ、越後妻有の美しさを肌で吸収し心に染み渡らせることができた。この場に戻って制作できるのをとても楽しみにしている。かねてから日本文化に強い関心を持ち、更に2005年には神戸で英語を教えて1年間を過ごした私にとって、このように素晴らしい場所を通じ、日本と再び関係を築くことができるのを心から幸いに思っている。