作品設置場所の島について
豊島
面積14.5平方km、人口が約1,000人の島。約9千年前には既に人が住んでいたことが分かっており、その後瀬戸内海交易とともに栄え、近年までおよそ千年にわたり石材業が基幹産業だった。
島には森が広がり、豊富な湧き水が棚田を潤している。かつては稲作が盛んで、乳牛を多く飼育し、また福祉施設が多く整備された豊かな島である。
豊島 甲生集落
豊島の南西に位置し、男木島が見える海辺の甲生には、85名(そのほとんどが高齢者)の住民の方がいる。とても活動的な自治会長の植松さんに率いられ、一生のほとんどを甲生で暮らしてきたこの小さな地区の人々の結束力は固く、皆さんとても近所思いだ。家浦や唐櫃といった、長く漁業が栄えてきた他の大きな集落とは違って、甲生の住民の多くは現在は廃止されている豊島石の採石場で 働いてきた。甲生には豊かな野菜や果物畑、田んぼがある。自給自足ができ、他人に優しく思いやりのある人々で知られている集落だ。
-甲生集落のオーストラリア作品のコーディネーター ユランダ•ブレア-
植松さん 甲生在住
スー・ペドレー「ハーモニカ」の網作りの熱心な協力者
私は生まれは豊島ですが、学校は東京へ行きました。それから豊島に戻って43年になりますが、この間に若者が就学や就職のために出ていったため、島の人口は大変少なくなった感じます。そんな中、瀬戸内国際芸術祭が豊島でも開催されることになって、島に活気が戻り、こんなに嬉しいことはありません。また、主人が甲生の自治会長を務めているので、その任期中にこのような芸術祭が開かれることにも誇らしい気持ちです。
オーストラリアのことはよく知らないのですが、娘が家族旅行で訪れたことがあり、話を聞きました。その娘も甲生集落でのオーストラリア・プロジェクトの開催を祝うオーストラリアン・バーベキューには京都から駆けつけます。
私は現代美術についての深い知識はありませんが、ここで目にしている作品は人々の思いやりから作られていると感じます。オーストラリアの作品について、甲生の住民がそれぞれ違った意見や価値観を抱いているようですが、これは喜ぶべきことだと考えています。作品にとても賛同している住民がいることも好ましく思いますし、このようにこの集落で活発な議論が起こることはよいことだととらえています。
昨年の夏、オーストラリアの方々が豊島を訪れ、大変気に入ってもらったこともあり、甲生の住民は当初から今回のオーストラリアのプロジェクトにとても好意的でした。集落の多くの人たちは、芸術祭で何が起きているのかはあまり気にしていないのですが、ただオーストラリアのアーティストたちとの作品作りを楽しみ、オーストラリアの文化に触れることを喜んでいます。芸術祭が成功し、それがはずみとなって、これからもに多くの観光客が来てくれることを願っています。
清水さん 甲生在住
スー・ペドレー「ハーモニカ」の網作りの熱心な協力者
私は豊島の生まれですので、ここの風景と人々にとても強い繋がりを感じています。今から30年前にほんの数年大阪に暮らしていた時も、海が恋しく結局島に戻ってきてしまいました。
豊島は普段はとても静かなところです。でも、瀬戸内国際芸術祭が開催されることになり、私も含め多くの人々が期待を高めています。だから自分もどうしても関わりたいと思いました。今はスー・ペドレーの「ハーモニカ」プロジェクトに心が躍り、残りの網が作られ家を覆うのも待ち遠しいです。スーさんの広い心と活力と笑顔を見ると、とてもやる気が湧いてきます。
オーストラリアのことはあまり知りませんが、親戚がオーストラリアで寿司店を経営しています。またテレビでオーストラリアの野生動物の番組を観たこともあります。ただオーストラリアの人たちと一緒に時間を過ごすのはこれが初めてです。また現代アートも初体験です。豊島で制作されているオーストラリアの作品は、アーティストの性格や情感が滲み出ているように感じます。それはどれもが作者と同様、寛容で優しさに満ちているからです。
豊島の人口と産業は先細りの状況ですが、この芸術祭がきっかけとなって、状況が好転していくことを願っています。ほとんどの住民は芸術祭で活気づいていますが、一方、島での多くのお客さんの受け入れ態勢に少し不安もあります。私達にとっては外国の方との会話も大変です。それでも、この美しい島を誇りに思っていますし、世界の人たちとそれを分かち合いたいと思います。同時に人々がこの貴重な自然を大切にして下さることを願っています。
浜田修二さん
土庄市豊島交流センター
豊島は英語に訳すと「豊かな島(prosperous island)」という意味です。かつては豊島石の加工技術を基盤とした石材加工業、稲作、漁業が盛んな島でした。しかし残念なことに1970年代に、島の西側にあの有害産業廃棄物の不法投棄が発覚して以来、豊島は汚染された島として知られるようになりました。私共交流センターでは、そういった見方を変え、豊島の今の様子を広く知って頂けるよう、努力を続けています。
およそ25年もの間、島の人々は、有害な産業廃棄物の不法投棄が中止されることを求め、行政機関や事業者に訴え続けました。そして廃棄物対策豊島住民会議の発足、署名運動、公害調停への動員、日本の主要都市でのデモ活動など、多岐にわたる住民運動を行いました。50万トンもの有害廃棄物の処理と環境回復措置が施行されるためには、これほどの長い年月を要したのです。またこの公害調停は、不法投棄に関して行政がその責任を認めた初のケースとして、日本のみならず海外でも注目されました。
不法投棄によってこの島の文化と環境はひどく傷つけられ、その影響は、水路、土壌、海、住民の健康と広くおよびました。漸く不法投棄が終結したことは、住民の粘り強い不屈の精神の証しと言えます。豊島住民は将来の世代のために、自分たちが成し遂げたことを誇りとし、またこの問題は、世界中の環境保全活動家や住民団体にも希望を与えています。豊島の住民は、日本の有害廃棄物問題の犠牲者になることを拒みました。そしてその粘り強さと頑張りが遂に実を結んだのです。
私は瀬戸内国際芸術祭を強く支持しています。なぜなら芸術祭が、豊島に対する先入観を変え、この島が未来に向って歩み出すきっかけとなってくれることを願っているからです。芸術祭で豊島を訪れる人々には、ある先入観があるかもしれません。でも実際に来て、この美しい自然環境を一層引き立たせる数々のアート作品を楽しんで行って欲しいと願っています。
毎日豊島にはより多くの人が訪れるようになっていて、芸術祭サポーターのこえび隊も、作品制作協力のためにやってきます。つまり今はたくさんの人たちが豊島の緑と周辺の海の美しさを感じているのです。芸術祭開催初日が近づくにつれ、普段は静かで落ち着いた豊島が、確実に変わってきているのが感じられます。芸術祭が島にもたらす効果について、豊島住民の中には期待と不安も入り混じっています。
豊島は今日の日本社会を映し出しているようなところです。少子高齢化が進み、若者が教育と仕事を求めて島から遠く離れていきます。その点でもスー・ペドレーの網の制作は、重要な意味を持っています。それは異なる世代の様々な集落の人々が共同作業をするという価値ある機会を提供しているからです。彼女の作品は、島に新しい活力をもたらしてくれています。
三宅彩香さん
瀬戸内国際芸術祭サポーター
私は高松で生まれ育ち、瀬戸内の島々を何度も訪れていますので、瀬戸内国際芸術祭に気持ちが高まっています。開催が発表されて以来、普段は静かな瀬戸内に暮らす人々の気分も盛り上がっています。そこで、私もこの新しい動きに貢献したいと思い、芸術祭サポーターであるこえび隊として参加することにしました。
私はアートが好きですし、自然の中に既にアートが存在していることを感じます。でも私も含め、現代美術を勉強していない人にとっては、美術館は少し難しく感じるかもしれません。ただここでは、アートがあって、自分がここにいる、それだけで十分なのです。地球も、自然の中に存在するアートも今、危機に瀕しています。芸術祭が、島を訪れる人々に、地球がいかに美しく繊細かということを思い出させてくれることを願っています。
こえび隊の活動は緊張もある一方、やり甲斐も感じています。初めて日英の通訳をし、アーティストと地元の人々を繋ぐ役割を担うことに責任を感じます。それでもたくさんの人に豊島を訪れてもらい、地元の方々とともにこの美しい島を活性化するという目標を共有できる機会があることは、とても嬉しいことです。
男木島
面積1.37平方キロメートル、周囲4.7km、人口が約200人の島。斜面に密集して民家が建ち並び、その間を坂道が通っている。人々は漁業で暮らし、また島には農繁期に遠方に牛を貸し出す「借耕牛」の習慣もあった。
安産の神様として知られる豊玉姫神社や日本の灯台50選にも選ばれた男木島灯台などの有名スポットもある。
小豆島
面積153.33平方km、人口が約32,000人の島。島全体が起伏に富んで自然に恵まれている。
大阪から西への海上交通の要衝として栄え、江戸時代には塩、醤油、素麺などが生産され、現在は醤油や素麺、佃煮などが小豆島の特産品となっている。