Australian Journey in Setouchi 2010

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アーティスト達


スー・ペドレー (豊島)

Sue Pedley

タスマニア生まれ、シドニー在住。制作過程を重視しながら、様々な素材とその場所との関連性を、別の方法で表現する作品制作を続けている。

主な作品・プロジェクトに、2008年「第5回国際彫刻シンポジウム」(ベトナム)、2007年「ウオーキングとアート・レジデンシー」(カナダ、バンフアートセンター、the Other Gallery)、2007年「Blue Jay Way」(メルボルン、ハイディ近代美術館、ニュー・サウス・ウェールズ州、ペンリス美術館)、2006年「スペア・ルーム」(シドニー、エリザベス・ベイ・ハウス)、2006年「越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟・十日町市)、「ライト・センシティブ:オーストラリア現代写真」展(オーストラリア、ナショナル・ギャラリー・オブ・ビクトリア)などがある。またロンドン、フランス、ドイツ、スリランカにてレジデンシーも行っている。

スー・ペドレー オフィシャルサイト
www.eyelight.com.au/sue_pedley


作品 「ハーモニカ」

スー・ペドレーは、豊島の甲生地区の人々の力を借りて、大きな魚網を制作した。その網が空家の母屋と納屋を覆うことによって、もうそこにはいない家族の生活がとらえられる。結び目を作ること、そして包んでいくことのモチーフは、家族が置いていった布類で風呂敷のように日用品がくるまれている家の屋内まで続く。「ハーモニカ」は移住と家族の歴史を物語ると同時に昔からの伝統を守ろうとする作品だ。

アーティスト・メッセージ

芸術祭サポーターの「こえび隊」が毎日フェリーに乗ってやってきて、豊島の甲生地区住民の方々と、オレンジ色の大きな網作りを手伝ってくれる。網を作りながら私達は語り合い、それを通じて、島から島へ、瀬戸内から日本の他の島へ、そして遠く私の故郷であるオーストラリアのタスマニアまで物語が繋がっていく。

制作現場はお祭り気分!昨日の作業中の話題は、戦争、苺栽培、三世代前の漁網技法にまで及んだ。昔の漁師さんは島に生える特殊な草から網糸を作っていたそうだ。今制作している網の寸法は、地元で養殖されている海苔用網に基づいている。


そしてこの網は30年以上空家だった豊島の家とその離れの全体を覆うことになる。そこには家族が残していった、着物、スーツ、コートやセーターなどの手作りの服、ふとん、漆器、瀬戸物、本、漬物、漁業や農作業の用具などたくさんの物がある。それらを選り分けながら、その家と集落、周辺の海、丘、竹林、柿の木といった美しい風景の空間的な調和を生み出すことに、毎日が費やされている。


クレア・ヒーリー&ショーン・コーデイロ (豊島)

Claire Healy and Sean Cordeiro

シドニーとベルリンに在住するインスタレーション・アーティスト。2001年シドニーにて、売家を模した作品「Location to Die For」以来、共同制作を始め、建築物、非定住生活、空間への侵入といったテーマに焦点をあてた作品を手掛けている。

二人は、シドニーのマークス・パークやボンダイ、南ドイツにある廃屋となったアーティストの作業場、スイスの使われなくなった有料道路料金所などの様々な場所で共同制作をしている。また横浜のArt Autonomus NetworkやベルリンのSparrwasser、2009年にはリヨン・ビエンナーレの一環のLaBF15に出品し、第53回ベネチア・ビエンナーレにもオーストラリアの共同代表として参加している。

クレア・ヒーリー&ショーン・コーデイロ オフィシャルサイト
www.claireandsean.com


作品 「残り物には福がある」

作品は、甲生の美しい空家に設置されている。敷地内には考古学上の発掘の跡がある。更に奥に進むと、家の中には掘り出された恐竜が古い家具の上に括り付けられた状態で立っている。ここでは博物館と一般の家庭領域が曖昧となり、食事を取る部屋で人々が遭遇するのは食卓ではなく、巨大な化石なのである。

アーティスト・メッセージ

私たちが制作している豊島の空家は、御殿のように大きく、かつての富裕な暮らしぶりを感じさせる。その中で、地元の職人によって作られたであろう素晴らしい細工の施された家具類を、作品を通じて甦らせようとしている。こんな素晴らしい機会を頂くことができてとても光栄だ。内部に残されている物も大変に美しい。ガラス器や陶器も、その熟練の技が光る地元の職人が作ったものだろうか。

ボランティアの方に手伝ってもらい、次第にこの家の様子がわかってきた。台所はとにかく博物館のようで、私達は床下にあるかつて味噌や醤油作りに使われた穴を発掘した。炊飯器の一大コレクションもあり、時代物の釜から最近の自動炊飯器までがそろっている。屋根裏には多数の餅作り用の箱を見つけた。あまりにたくさんあって、この家に昔住んでいた人が餅好きだったか、あるいは一冬を越せるくらいの大量のお餅を作っていたのかと想像を巡らせた。

私達の作品は、モノロフォサウルスが豊島で使われていた家具を積み上げた枠組みの上に立ち上がるというもの。作品制作の過程でこの素敵な家のかつての住人についての理解を少しずつ深めている。そして恐竜という過去の遺物の再生を、忘れ去られた宝物が支えることになるのだ。


私達の作品への行き方。

甲生の集会所の横を右に折れ、まっすぐ進む。海老と魚が描かれた錆び付いた看板を過ぎて、古い鶏小屋のところを左に曲がる。コンクリート・ブロックが載せられたバスタブに覆われた井戸を左に見ながらまっすぐに進むと、お地蔵さんのいる十字路に出る。柑橘系の木の植わった庭のところを左に曲がり、黒い丸のついたガス台用のアルミマットが吊り下げられた竹の棒(日本の烏対策!)を見ながら右に折れる。すると右に漢字で書いた表札の掛かった入り口にまた小さな戸口があり、それを開けると小さな庭に出る。ここが私達の作品の場所だ。


キャメロン・ロビンス (豊島)

Cameron Robbins

メルボルン在住。キャメロンの作品は、自然の力との対話に基づいている。自然が持つエネルギーを生かし、記録し、翻案することを通して、その潜在的な構造やリズムを、私達の目に見えるものとして表現している。彼の作品のほとんどは、サイトスペシフィックなものである。ギャラリー、使われなくなった建物や屋外を舞台に、オーストラリア国内外で20年以上、制作を続けている。

主な作品・プロジェクトに、2010年「子午線:公共スペースのアート&サウンド」(上海万博におけるビクトリア州のプログラム)、2010年「スローな延伸機」(メルボルン、フラクチャー・ギャラリー)、2009年「MONA FOMA」(タスマニア、ホーバート、Museum of Old and New Art)、2008年「ソーラー・システム」(メルボルン、セント・キルダ・ビーチ)、2008年「バス発着場」(メルボルン、ダンデノン)、2008年「Within/Without」(メルボルン、プレイス・ギャラリー)、2006年「二つの渦巻き」(メルボルン・カウンシルハウス2)などがある。

キャメロン・ロビンス オフィシャルサイト
www.cameronrobbins.com


作品 「潜在意識下の海の唄」

甲生の花崗岩の桟橋上の漁船に取り付けられたオルガン・パイプ。それら一式が波の動きによって生じる空気の流れにより、へ短調の和音を奏でる。その忘れ難い音が島に響き、豊島の海の物語を呼び起こす。下向きに置かれた船に心地よく腰掛け、海の景色、音とリズムに思いを巡らせて欲しい。

アーティスト・メッセージ

自然界と取り組んでいると、人間がどれほど自然に頼っているかを思い出させてくれる。人々はその恵みを享受するだけでなく、自然は人間にとっての芸術的なインスピレーションの源ともなっている。「潜在意識下の海の唄」は、海との直接的に結びつくことによって音楽が奏でられ、世界中の海を取り巻く環境変化や、縮小しつつある漁業を憂う作品である。私が作品制作をしてきたすべての場所-オーストラリア、そしてこの度は日本の海-でも、海洋環境が悪化し漁業は衰退している。豊島でもそうなのだろうか。もうこのあたりでも、魚はいなくなってしまっているのかもしれない。同時に、私の作品は、地球の美しさや深い神秘を想うものでもある。

「海の唄」から奏でられる音楽、そのリズムは波の長さ次第だ。ここでいう波長とは、一つの波と次の波がくるまでの時間に加え、広い意味でのスペクトル−耳で聞き取れない波長から音の波長までや、紫外線やX線といった光の波まで-を含む。作品のパイプ・オルガンは空気の流れを分割したり振動させたりすることによって、ファ、ラのシャープとドの音を出す。これによって他の世界へ私たちの考えを誘う憂いに満ちたへ短調を奏でる。


作品について思うこと

豊島の甲生地区は作品制作をするには素晴らしいところだ。お願いしたことが実現するのにほとんど時間がかからない。昨日は作品に使うボートを桟橋の適切な場所に運ぶのに力持ちの方を含む10人の方に手伝ってもらう必要があった。そして朝10時に甲生地区自治会長の植松さんにお願いすると、何と午後2時には作業が終了した。何かが必要なときに手続きとして行うべきことは、自分でやるよりもまずは植松さんにお伺いを立てること。彼が仕切ると、スイスイと作業が進むし、私の色々な提案も快く受け入れてくれる。

「潜在意識下の海の唄」は波の動きによって生じる空気の流れによって奏でられるパイプ・オルガンの作品だ。これまでオーストラリア国内でいくつか制作してきたものを、瀬戸内国際芸術祭に合わせてさらに発展させた。その設置場所は、甲生地区の皆さんと芸術祭の主催者と相談して決めたが、最適な選択ができたと思う。厳密にいうと防波堤である石の桟橋は、甲生地区からもちょうど良い距離にあり、住民の方々にご迷惑をかけることなく、パイプ・オルガンが存分に音を響かせることができる。更に、浜辺の東端にあるため、そこから丘と夕日を背景に甲生の素晴らしい景色を眺めることができる。作品を桟橋の東側に設置したので、時々の天候に応じて波をとらえやすいはずだ。

初めは、硬い花崗岩の桟橋に何かを固定することは決してできないだろうと思った。が、その場で色々と考えるうちに、石のブロックの間に短い木のくいを打ち込み、更に小さな石を入れ込むことでしっかりと固定できることがわかった。こうして引き潮の水位まで12本のくいを打ち込んだ。それらに直径150ミリのポリ塩化ビニールパイプを取り付ければ、パイプの先端から空気が吹き込まれ、上部のパイプ・オルガンへ送られることになる。

そこで82歳の漁師である山坂さんから、地元の紐を使って丸い二つの物体を頑丈に固定する方法を教わった。私が悪戦苦闘した挙げ句、自分のひどい結び目に絶望していたところに、山坂さんは桟橋に登場した。そして優しく首を振りながら、靴下のまま滑りやすい桟橋の側面をよじ下りて、僕のロープを解き、その後一時間にわたって縄結びレッスンをしてくれた。彼は難しい結びには鉄製の先の尖ったピンのような道具を使った。またまず水でぬらしてしばらく「待って」引っ張ることによって、縄を柔らかくする技法も教えてくれた。山坂さんは、同じく瀬戸内国際芸術祭に参加しているオーストラリア人アーティストのスー・ペドレーの作品のために、ボランティアの人たちにも網や縄結びの技術を教えている。彼は、オーストラリアの作品にとって、偉大な先生であり協力者だ。

作品を桟橋に設置するために既存の構築物を探していることを、豊島に到着した日に開かれた地区への説明会で話したところ、もう使っていないボートを親切に提供してもらえることになった。贈り主の控えめな感じの方は、木材や機材とでいっぱいの、興味深い物置小屋を持っている。頂いたのは赤と白の長さ6メートル、幅1.6メートルのファイバーグラスのボートでこれを逆さに置いた。パイプは竜骨の部分に固定し、それ以外のカーブしている部分に人々が腰掛けて作品を味わい景色を眺めるのにちょうどよいようにした。

残る一番の難関は、今年の8月に予想されている台風にも耐えられるように、いかに作品を頑丈に桟橋に固定するかだ(ちなみに台風はサイクロンとハリケーンの親戚のようなもの)。それを予期してボートのパイプは風上、そして海の方に向けられている。パイプとボートはスイス製の岩用強力接着剤と長めのボルト20個で、硬い岩に固定した。台風が来た場合、その模様も録画、録音しておきたいと思っている。「海の唄」はきっとすごい音楽を奏でるに違いない!


ジェームズ・ダーリング&レスリー・フォーウッド (男木島)

James Darling & Lesley Forwood

ジェームズ

1946年 オーストラリア・メルボルン生まれ

レスリー

1950年 オーストラリア、南オーストラリア・テーレム・ベンド生まれ

双方とも南オーストラリア・ダックアイランド在住のアーティスト、農業従事者、自然保護主義者。


「ウォールワーク5: 加茂島から加茂神社へ」

アーティスト、農業従事者、自然保護主義者のジェームス・ダーリング&レスリー・フォーウッドは、2009年8月に瀬戸内国際芸術祭の北川フラム氏に声を掛けて頂き、瀬戸内海の島々を訪れ、その上で2010年の芸術祭参加のための公募に応募した。

最大15の枠に760もの応募があり、審査結果の通知が遅れた。2010年2月に私達のプランが認められたとの通知があった。

私達は2010年5月に男木島を訪問し、主催者と島民から、豊穣の神社、加茂神社の前の鳥居に向かうきつく曲がりくねった階段に、作品を設置することの了承を得られた。

作品のコンセプトは、男木島の海と石垣に触れながら、日本とオーストラリアの古代のアニミズム的な伝統を繋ぐような、現代の環境に関する表明をすることであった。

インスタレーションのタイトル「ウォールワーク5 –カモ島からカモ神社へ–」は、作家が従来から行っている壁についての追及と、南オーストラリアにある彼らの農場の名前であって、ユーカリの根の出所であるDuck Island(カモ島)からきている。



「作品は、シンプルで、単純で、そして自然を表している。環境の保護、精神的なものや無情なものをどうしたら尊重できるか、そしてその尊重の気持ちがどのようにして自然を通して、長年、四季を通して、生まれるか、ということに言及している。

作品が静かでその場にふさわしいところが素晴らしい。色々な方法で話しかけてくるのだ。それは詩的、動的でもありながら、静かな瞬間でもある。行きと帰りでは全く違う。そしてとても古く全く新しくもある。私達の理解を超える、白人移民の到来する前のオーストラリア、その頃のユーカリの木、アニミズムの世界、精霊が崇拝されていた時への喚起なのだ。」

2010年7月21日JAD、Journalより


ダダン・クリスタント (小豆島)

Dadang Christianto

1957年 インドネシア・テガル-ジャワ生まれ
1999年 オーストラリアに移住
ブリスベン在住

ダダン・クリスタントは、人類の問題や社会的、政治的問題を、様々なメディア(パフォーマンス、絵画、インスタレーション)を使って表現する作品を多く制作している。


「声なき人々の声」

Artists

この作品は、インドネシアの竹笛「スナリ」がモチーフになっている。バリ島の農民が水田で一人で働くとき鳴り渡るスナリは、昔からの農村の遊具だ。風に奏でられて良い音が出るよう、スナリは水田の真ん中や高いところに置かれる。作家にとってスナリの音色は悲しげで、何かを失った魂の声のように聞こえる。それは「声なき人々の声」である。



ユランダ・ブレア (豊島)

甲生集落のオーストラリア作品のコーディネーター

Ulanda Blair

ユランダ・ブレアはキュレーター、プロジェクト・マネージャー、アート・ライターとして活躍している。オーストラリアのメルボルンにあるネクスト・ウエーブのアーティステック・プログラム・マネージャーとして、フェスティバルの基幹プロジェクトの運営を担い、また若い新進アーティストのための全国プロ養成プログラム「キックスタート」も担当している。2010年5月に開催された最近のネクスト・ウエーブ・フェスティバルでは、オーストラリアとアジアから100名を超すアーティストが参加した8つの大型プロジェクトの運営を行った。

ネクスト・ウエーブに勤務する以前は、ガートルード・コンテンポラリー・アート・スペースにて2004年から2007年までギャラリー・コーディネーターを務めた。この間、2006年に開催されたメルボルン・アート・フェアのガートルードのプロジェクト・スペースでのキュレーションを担当。2005年には、ガートルードの20年記念誌「A Short Ride in a Fast Machine: Gertrude Contemporary Art Spaces 1985 – 2005」の発刊にあたり、編集アシスタントを務めた。2005年には、ガートルードのメイン・ギャラリーにて「別の世界展(Otherworld)」のキュレーションをジェフ・カーン氏とともに行い、また2004年のレズ・アルティス会議でも、コーディネーターを務めた。2005年には、イタリアのベニス・ビエンナーレにてオーストラリア・パビリオンの案内係を務め、2006年には第5回アジア・パシフィック・トリエンナーレに招かれ、「The Artreader: an APT5 Companion誌」の執筆・発行チームに加わった。

ユランダはこれまでに、30を超える国内外の展覧会のカタログのエッセー、記事やレビューを執筆し、「Art & Australia」、「Art World」、「Artlink,」、 「Eyeline」、「Flash」、「Green Pages」、「un Magazine」にも寄稿している。2008年 にはオーストラリア・カウンシルの助成「RUN_WAY」、及びHarold Mitchell財団の助成を受け、日本、中国、シンガポールで5週間のリサーチを行った。ユランダはまた現在、ナショナル・ギャラリー・オブ・ビクトリアの若者向けプログラムの委員会のメンバーでもある。