Welcome to the オーストラリア大使館のカルチャーセンター

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カルチャー・センターは2013年2月末で廃止となり、それ以後はこちらへ移行しました。


「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団 (仮題)

佐藤友紀 (ジャーナリスト)

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
「くるみ割り人形」
Rachel Rawlins and Kevin Jackson
Photo by Tim Richardson

まさか自分が『くるみ割り人形』を観て泣く――それもすすり泣きなどというなまやさしいものではなく、号泣に近い激しい泣き方で――日が来ようとは、予想だにしなかった。

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
グレアム・マーフィー

私をそこまで泣かせてくれたのは、オーストラリア・バレエ団。英国王室の故ダイアナ妃を中心とするラブ・トライアングルをモチーフにした『白鳥の湖』で、日本の観客の心をわしづかみにしたのも記憶に新しいが、その『白鳥の湖』を振付けしたグレアム・マーフィーは、先年インタビューしたとき、「クララが60歳という設定の僕らの『くるみ割り人形』もなかなか好評なんだよ」と確かに言っていたっけ。

で、その『くるみ割り人形』、クリスマスを背景にしたストーリーだというのに、ビーチウェアに近いような格好の少年少女が、あまりお金持ちっぽくない住宅地の裏庭で遊びに興じているシーンから始まる。バレエ作品なのに、子どもたちはオーストラリア訛りの英語で喋りまくり、音楽が聴こえる気配も踊りだす気配もない。そこにお祝い用の服に身を包んだ老いた男女が現れて1軒の家に入って行く。乾杯の仕方、全員手をつないで踊るスタイル、その家に飾ってある写真やら何やらから、この人たちってロシア系!? ということが少しずつわかってくる。そして、家主である女性がちっぽけな植木に申し訳程度の飾り付けを施すに至って、「あ、クリスマスだ! オーストラリアだから夏なんだ!!」と合点がいくのである。

待ちに待たされた(?)チャイコフスキー音楽への入り方も心憎い。ラジオから聴こえている音楽が、途中から生演奏になり、私なんぞなぜかはわからないけど、その辺りで1回目の嗚咽が押し上げて来たり。その後のエモーショナルなドラマ展開に期待度がマックスになってしまった。

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
Rachel Rawlins による「クララ」
Photo by Tim Richardson

そう、勘のいい方ならもう気づいていると思うが、オーストラリア(メルボルン)の夏のクリスマス・パーティにやってきた老いた男女は、元バレエ・リュスのダンサー達で、故郷ロシアを離れた後、世界各地を公演してまわり、オーストラリアにやって来たという設定なのだ。そして、老いてなお可憐なこの家の主は、同バレエ団のプリマだったクララ。久しぶりの旧友たちとの楽しいひと時に疲れ果てた彼女は、若い医師もかけつけるような発作を起こすが、そこから自分の辿ってきた人生を思い出すというストーリー作りが、本当に巧い。何しろ『くるみ割り人形』に絶対欠かせないネズミたちが、皆いかついオーバーコートを着ていて、左腕には赤い腕章を付けている。この姿って、ロシア革命時のボルシュビヴィキ? と一つ一つの謎解きが、チャイコフスキーの音楽の流れを邪魔することなく、ストーリーをより深く味わうためのさらなる手立てとなるのだ。

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
「くるみ割り人形」
Emily Seymour and Marilyn J

そのストーリー、かいつまんで説明すると、帝政ロシア時代のサンクト・ペテルブルクに生まれたクララは、母親からトゥ・シューズをプレゼントされて、バレエを習い始める。その頃の少年少女のバレエ・レッスンの様子も出てくるが、半ズボン姿の男の子のレッスン着といい、誤解を恐れずに言えば「バレエは選ばれし人間だけが習えるもの」といった上流感覚がかえって新鮮。だからこそ、それに続くロシア革命の激しい描写が胸に迫ってくるのかもしれない。ここでグレアム・マーフィーは、ソ連の巨匠セルゲイ・M.エイゼンシュテイン監督の傑作ドキュメンタリー・タッチ映画『十月』と、新たに撮った映像をつなぎ合わせて、舞台のバックスクリーンに映写しているのである。

「バレエ・リュスのことは、いつか自分の作品に反映させたいとずっと思っていたんだ。というのは、あまり知られていないことだけど、ロシアを離れて、世界中で公演していた彼らは、ヨーロッパ、アメリカだけでなく、ここオーストラリアにもやって来て、定住した人間も多いし、そんな彼らがオーストラリア・バレエ界の礎になったとも言えるんだよ。日本ですら大きな影響を受けたって!? それは十分想像できる。それだけ彼らの世界のバレエ界に対する貢献度は大きいんだ。加えて、オーストラリアにおける彼らは、自分たちの活動をフィルムに収めていたりして、近年話題になったドキュメンタリー映画『バレエ・リュス』にも、大勢の元ダンサーが資料を提供したり、積極的に協力していてね。そんな彼らの激動の人生なら、僕の考えたクララのような人間がいてもいいんじゃないかと思ったんだよ」

老クララの、踊りなど縁もなさそうなかかりつけの医師が、かつての恋人を演じるといった趣向は、踊りのみならず、演技も重視しているオーストラリア・バレエ団ならではのもの。革命前、バレエ団のプリマになったクララが、恋人や同僚たちとピクニックに出かけるロシアの短い夏のシーンは、まるでチェーホフの戯曲の一場面のようで、振付の完成度の高さと共に印象に残るが。

「あのシーンでも、浮浪者の父子がジッとクララたちを見ていて、突然の雨にあわてて行った彼女たちの残したパンをむさぼり喰うという演出にしている。常に社会の動きとクララの人生がどう関わって来たか、手も抜かずに描いたつもりだよ」

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
クララの物語

ところで。従来の『くるみ割り人形』は、ある意味「振付家泣かせだ」とマーフィーは言う。

「クリスマス期のお楽しみにしても一つの流れが、“金平糖の踊り”やら“アラビアの踊り”などのナンバーでブツブツ断ち切られてしまって、ストーリーを考える上で邪魔になってしまうんだ。まるで一つ一つの踊りが“おまけ”みたいな感じさ(笑)。でも、それもバレエ・リュスが公演で世界中を旅していたという史実に合わせていけば、より説得力を持つだろう。問題も一気に解決したよ(笑)」

先述したエイゼンシュテイン監督の『十月』は、指導者レーニンの演説シーンを始め、実は近年、ロシア革命を扱った舞台、映像作品に引用される機会が少なくない。ところがマーフィーとオーストラリア・バレエ団はモンタージュの神様エイゼンシュテインのお株を奪うかのように、既存のフィルムの中に新しく撮ったシーンをはさみ込み、例えば一組の男女が腕と腕を絡み合わせる映像のアップを、そのままクララと恋人とのパ・ド・ドゥでの腕の振付けに用いるなど、映像の使い方にも工夫が凝らされている。

「あそこに気づいてもらえたのはうれしいな。さすがにレーニンに振付けるのは無理だったけど(笑)、映像を自分たちの作品に用いる場合もただ漫然と映写するだけじゃつまらないと思ってね。いろいろ試行錯誤は繰り返したけど、結果満足のいくものになったと自負している。それにしても、チャイコフスキーの音楽で君の言うようにチェーホフっぽいシークエンスが表現できたり、エイゼンシュテインとコラボレーションできたり(笑)。ロシアという共通項があるにしろ、チャイコフスキーはびっくりしているかな。でも、パズルが一つ一つはまるように、みんなしっくりいったからね。むしろ彼も喜んでくれると思う」

「感動!」のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
シドニー・オペラ・ハウス

少なくとも「感動」という点では最高級だったことを、シドニー・オペラ・ハウスの外に一歩出たら、さんざん涙が出まくった目に日光が眩しすぎた体験と共にお伝えしておきたい。