Welcome to the オーストラリア大使館のカルチャーセンター

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オーストラリア文学のいま

移民文学の作家

ディヴィッド・マルーフ(David Malouf, 1934 - )

オーストラリアのブリスベーン生れ、キリスト教徒のレバノン人の父とポルトガル系ユダヤ人の母をもつ。彼は、マイルズ・フランクリン賞をはじめ、数々の国内の文学賞を受賞していると同時にインターナショナルIMPAC ダブリン文学賞(International IMPAC Dublin Literary Award)、フランスのグランプリフェミナ外国賞(Prix Femina Etranger)など国際的な賞も多数受賞している。また英語で書かれた優れた作品に与えられるイギリスのブッカー賞フィクション部門(Booker Prize for Fiction) の候補にも挙がったことがあり、国際的な作家としての地位を確立している。彼の短編「キョーグル線*」(Kyogle Line, 1986)は『ダイヤモンド・ドッグ*』に収められている。


クリストス・ツィオルカス(Christos Tsiolkas)

クリストス・ツィオルカスは2009年に日本に講演に訪れたことがある。彼は、オーストラリア生まれのギリシャ系作家である。1995年にLoadedという作品を書いて脚光を浴び、この作品は後にHead On(1998) というタイトルで映画化され、広く知られるようになった。その後、Dead Europe(2005) でThe Age Book of the Year fiction award(2006)を、The Slap(2008)でCommonwealth Writers Prize 2009を受賞し、国内外で注目を集める作家のひとりとなった。ツィオルカスは、オーストラリア人としてのアイデンティティの問題を追究しているが、この問題はグローバル化が進行する現代人に共通する普遍的なテーマであるとし、過去の伝統文化や国家、セクシュアリティといった既成概念を超えるところに現代人の存在意義をみいだそうとしている。「書くこと」つまり「文学」によって、そうした問題を乗りこえようとしている。彼にとって、言語による表象こそが、文化の差異や過去に縛られた伝統や既成の概念の枠をとり払い、新しい価値の創造を可能にしてくれるものであると語っている。植民地主義、人種主義など、今なお解決のできないさまざまな問題に挑戦する手段としての文学の可能性を大いに語っている。

朝日新聞GLOBE (2010年4月)に掲載されたツィオルカスの記事


フィリピン系作家マーリンダ・ボビス(Merlinda Bobis)

フィリピン出身のマーリンダ・ボビスは、奇想天外な想像力を発揮して、ユニークな小説世界を創りだしている。彼女の作品は、フィリピンの伝統文化とオーストラリアでの生活経験を統合させることによって独特な小説世界を生み出している。ことに彼女は「食」という媒体を用いて、多文化社会の複雑な人間模様を比喩的にユーモアたっぷりに表現することに成功している。彼女の短編小説「舌の寓話 (Earnest Parable)*」 は短いながら、自身の作風の特徴をよく表わしている。

彼女の最初の小説『バナナ・ハート・サマー(Banana Heart Summer)』(2005) には、両親、苗字、住所ももたない日本人の男性が描かれている。この男性は、作者が幼いころ聞かされた、第二次世界大戦時に、日本兵と、日本兵のための慰安婦であるフィリピン女性との間に生まれた少年の話が基になっている。オーストラリアで今書かれている作品には、文化や国籍を超えて人間が共有する歴史があることを示してくれている。Bobis はフィリピンで大学教育まで受け、オーストラリアのウーロンゴン大学の大学院で学位を取得、その後、同大学で教鞭をとっている。


中国系作家ウーヤン・ユー(Ouyang Yu, 1955 - )

中国出身のウーヤン・ユーは1991年にオーストラリアを訪れ、現在もオーストラリアに在住している。英語と中国語で作品を書く小説家、詩人、ノン・フィクション作家として活躍。作品の数は、すべてのジャンルを含めて52にものぼる。経歴からもわかるように、彼の作品には二つの文化や歴史のぶつかり合いがテーマとなっている。彼がオーストラリアを訪れたころに体験した疎外感が、彼の短編小説「北からやってきたウルフ*」http://book.asahi.com/review/TKY200807290087.html (The Wolves from the North(1995)」にみごとに描かれている。彼は、中国文化とオーストラリア文化の間に存在している作家であり、ふたつの言語を操りながらそれらの融合をはかろうとしている。彼はオーストラリアで発行される唯一の中国語と英語の二言語雑誌Otherlandの編集者でもある。


スニル・バダミ(Sunil Badami, 1974 - )

バダミは発表した作品はまだ少ないが、若い才能豊かなインド系作家のひとりである。彼の作品「沈黙夫婦(Collective Silences, 2007)*」 は、2007年の優秀短編小説(Best Short Stories 2007)に選ばれている。彼の作品は、多文化社会に根強く蔓延する人種差別、階級問題などを、自らの経験を織り込みながら、風刺的でアレゴリカルなタッチで描いている。オーストラリア文学にアジア的な視点を与えてくれる作家のひとりとして有望な作家としてあげておきたい。


ブライアン・カストロ(Brian Castro, 1950 - )

ブライアン・カストロは、ポルトガル人の父、中国系イギリス人の母親の間に香港で生まれた。出自が多様な文化をもつ典型的な作家である。11才のときに、オーストラリアの寄宿学校に入れられ、その後、シドニー大学で学ぶ。オーストラリア、フランス、香港で教師をした経験がある。最初の小説Birds of Passage(1983)は、Vogel/Australian Literary Award を受賞、フランス語と中国語に翻訳される。その後、Pomeroy(1990), Double-Wolf(1991), After China(1992), Drift(1994), Stepper(1997), Garden Book(2005)などを書き、ビクトリア州首相賞、NSW州首相賞、ヴァンス・パーマー賞など数々の賞を受賞し、多文化的背景をもつ作家としての地位を確立している。最新の小説としてはThe Bath Fugues(2009)がある。また、エッセー集としてLooking for Estrellita(1999)がある。


エヴァ・サリス(Eva Sallis, 1964 - )

パレスチナ生れのドイツ人の父とニュージーランド人との母のあいだに生まれる。最初の小説ヒアム(Hiam, 1998)で新人の作家に与えられるヴォーゲル文学賞を受賞。現在は作家、批評家として活躍。彼女の作品は移民の経験をテーマとしており、ことに中東、アラブ文化に関心をもち、自身も流暢なアラビア語を話す。中東難民の扱いに抗議をするなどの政治的活動も積極的に行う。こうした政治的な行動を行ったりそのようなテーマを作品で扱うのは不利としながらも、あえてその方法をとっている。オーストラリアの自然と移民のギャップを描いた短編、「カンガルー(Kangaroo, 2003)*」 は移民とオーストラリアの自然とを対比させた秀作である。


ナム・リー(Nam Le, 1978 - )

1978年、ベトナム南部のラックザーに生まれ、1979年、生後3カ月で、両親とともにボートピープルとしてオーストラリアに渡り、オーストラリアで育つ。メルボルン大学卒業後、法律事務所に勤務、後に渡米しアイオワ大学のライターズ・ワークショップに学ぶ。最初の小説『ボート』(The Boat, 2007)はプッシュカート賞、2008年ディラン・トマス賞、2009年オーストラリア・プライム・ミニスター文学賞、メルボルン賞ほか多数受賞。NYでハーヴァード・レビューの文芸記者を務めるとともに、2009年にはライター・イン・レジデンスとして英国イースト・アングリア大学に滞在。現在、英語圏でもっとも期待されている新人作家のひとり。なお、The Boat は、13カ国語に訳されており、日本語訳は、『ボート*』がある。


先住民作家

キム・スコット(Kim Scott, 1957 - )

キム・スコットは白人の母とアボリジニの父のあいだに生れた。小説家であり詩人でもある。海外や国内で教員生活を送ったのち、自分のルーツを探るために西オーストラリアを調査し、1993年にTrue Country を書いた。この小説は2005年にフランス語訳がでている。1999年に発表された小説Benang は、フランス語とオランダ語に翻訳され、西オーストラリア州首相賞と、オーストラリアで最も権威ある文学賞、マイルズ・フランクリン賞を受賞している。アボリジニ作家としてはじめての受賞である。これら二つの小説は、スコットの西オーストラリアの奥地の調査が基になっており、作品のテーマは「肌の色の白いアボリジニ」のアイデンティティの問題について、また政府が20世紀のはじめにとっていた同化政策の実体を明確にすることである。短編小説「捕獲(Capture, 2002)*」 は、植民地時代の先住民の経験が歪んだ比喩として現代社会を舞台に描写されている秀作である。


アレクシス・ライト(Alexis Wright, 1950 - )

ライトはカーペンタリア湾の南部出身で、父親は白人だったが彼女が5歳のときに死亡、母親、祖母とともにクィーンズランド州で過ごす。最初の小説Plains of Promise(1997) は複数の文学賞候補となり、作品も再版されるほど多くの人びとに読まれている。彼女の二番目の小説Carpentaria(2006)は、2年間かけて構想を練り、6年がかりで書きあげた。この作品はマイルズ・フランクリン賞を受賞、キム・スコットに続いてアボリジニ作家として二人目の受賞者となる。彼女は作家以外に、土地権の回復運動の活動家としても活躍する。ライトの作品は出版にこぎつけるまで困難がつきまとったが、マイルズ・フランクリン賞を受賞して以後、アボリジニ作家が書く作品の可能性を広げ、オーストラリア文学に多様な視点を提供することになった。


ファビエンヌ・バイエ=チャールトン(Fabienne Bayet-Charlton, 1970 - )

南オーストラリア州、アデレード生まれで、父親はベルギー人、母親はオーストラリア先住民ブンジャラン族出身である。名前の幼いころは母親と祖母とともにオパールの産地クーバー・ペディで過ごす。現在は子育てと作家の仕事に専念している。最初の小説 Finding Ullagundahi Island は自分がルーツをたどるために書かれたものである。

2005年に発表した『分水嶺 (Watershed)』 は2006年のヴィクトリア州首相賞(先住民部門)の最終候補に選ばれている。この作品ではアボリジニが体験した喪失感、悲哀を綴っているが、同時にアボリジニの住むコミュニティーへの共感を、南オーストラリアの生き生きとした風景とともに、ユーモアと豊かな想像力をもって描いている。彼女は、オーストラリア人とは何かという問いに対して明確な回答はもたないという。それは、かなりあいまいなものであり、あるものを共有する能力であり、また社会に貢献できる能力であるとも語る。先住民の土地権に関してアボリジニの法的権利を擁護するNPO法人で働いた経歴をもつ。また、ヴォランティアで消防士も勤めている。「ピンク色の質問(Twenty Pink Questions, 2006)*」 は現代の混血アボリジニにとってのアボリジニの歴史観が細やかに描かれている。

ファビエンヌ・バイエ=チャールトン インタビュー


白人系作家

パトリック・ホワイト(Patrick White, 1912-1990)

オーストラリア出身だが、少年期、青年期の多くをイギリス、アメリカで過ごし、第二次大戦後オーストラリアに帰国、その後はシドニーで過ごす。作品は12の小説、2つの短編集、演劇、ノンフィクションなどがある。1973年にノーベル文学賞を受賞、オーストラリア文学の世界に認められた。20世紀英語圏のもっともすぐれた作家といわれている。日本語訳には次の作品がある。

『ヴォス―オーストラリア探検家の物語(上・下)*』(Voss, 1957)越智道夫訳(サイマル出版会);『叔母の物語*』(The Aunt's Story, 1948)岩淵寿津訳(主婦の友社 ノーベル文学賞全集26);『台風の目*』(The Eye of the Storm, 1973)向井 啓雄訳(三笠書房)『ごみ捨て場で*』『オーストラリアの文学』平松幹夫編訳(サイマル出版会1982)「オーストラリアのノーベル賞受賞者」(在日オーストラリア大使館発行)ノーベル賞 公式ページ


トーマス・キニーリー (Thomas Keneally, 1935 - )

オーストラリアの小説家、ノンフィクション作家、劇作家。もっともよく知られた作品に『シンドラーの箱舟』(Schindler’s Ark, 1982)は、イギリスのブッカー賞を受賞。後に、スティーヴン・スピルバーグ監督による『シンドラーのリスト』(1993)として映画化され、オスカーの最優秀監督賞を受賞している。第二次大戦下、1200人のユダヤ人をナチスの虐殺から救った実在のドイツ人実業家の姿を、ドキュメンタリー・タッチで描いた大作である。日本語訳は『シンドラーのリスト*』幾野宏訳(新潮文庫 1989)がある。


ピーター・ケアリー(Peter Carey, 1943 - )

オーストラリア作家としての枠をこえて、国際的に活躍している作家のひとりであり、現在はニューヨークに在住。これまでに、国内の多数の文学賞を受賞、またイギリスのブッカー賞を二度受賞しており、国際的に活躍するオーストラリア作家の代表格である。彼は日本にも深い興味を示し、息子に向けて書いたWrong about Japan, (2005)もある。日本語に訳された本は次のとおり。

『イリワッカー 2vol.* 』 (Illywhacker, 1985) 小川高義訳(白水社 1995);『オスカーとルシンダ*』 (Oscar and Lucinda, 1988) 宮木陽子訳(DHC 1999);『ジャック・マッグズ』 (Jack Maggs, 1997)宮木陽子訳(DHC 2000);『シドニー迷走紀行*』(30 Days in Sydney, 2001)宮木陽子訳(DHC 2005);『ケリー・ギャングの真実の歴史*』 (True History of the Kelly Gang,2000) 宮木陽子訳(早川書房2003);「著名なマイム師、最後の日々」'The Last Days of a Famous Mime' Robert Shapard & James Thomas Sudden Fiction International(文春文庫);「Do you love me?*」 柴田元幸編訳『どこにもない国』(松柏社2006);「アメリカンドリームズ*」'American Dreams' 柴田元幸編訳『紙の空から』(晶文社);「アメリカの夢*」『現代オーストラリア短編小説集 下』(評論社 1983)


ティム・ウィントン(Tim Winton, 1960 - )

西オーストラリア出身で、現在も西オーストラリアに在住。最初の小説 An Open Swimmerでオーストラリアン/ヴォーゲル賞を受賞、その後、マイルズ・フランクリン賞やコモンウェルス作家賞を次々に受賞、ブッカー賞には2度候補にあがっている。映画やドラマの脚本、児童文学、ノンフィクションなど、彼の活躍の広い。彼の創作において重要なのは「場所」であり、ことに西オーストラリアの海岸の風景が創作のインスピレーションを与えてくれるという。彼は若い作家を育てるために、Tim Winton Award for Young Writers の支援者でもある。短編小説「隣人たち(Neighbours, 1985)*」 は、白人の視点から移民との交流を描いている。


リチャード・フラナガン(Richard Flanagan, 1961 - )

5代目のタスマニア人で、ロングフォードに生まれる。幼少期に西岸の鉱山の町ローズベリーで過ごす。タスマニア大学時代は、大学の組合の委員長を務める。ローズ奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学ウスターカレッジへ進み、歴史学の修士号を取得する。その後、筋肉労働をしたり、リバーガイドをする。小説を書く前に4つの歴史書を執筆し、その後4つの小説を書いている。『グールド魚類画超帖*』Gould's Book of Fish: A Novel in Twelve Fish Atlantic Books, (2002)でコモンウェルス作家賞を受賞。この作品は19世紀初頭の囚人の芸術家とアボリジニの若い女性の恋愛を描いたもの。Wanting (2009)も同じく19世紀初頭のタスマニアとイギリスが舞台となっている。この作品は、マイルズ・フランクリン賞の候補となる。日本語訳には『姿なきテロリスト*』(The Unknown Terrorist, 2007)渡辺佐智江訳(白水社 2009)もある。


アンドリュー・マッガーン(Andrew McGahan, 1966 - )

クィーンズランド州のドールビィ(Dalby)出身。10人兄弟の9番目。クィーンズランド大学に入学するも1カ月で退学、故郷にもどり家族の小麦栽培の仕事を手伝う。最初の小説『プレイズ』(Praise, 1992)はオーストラリアン/ヴォーゲル文学賞を受賞し、作家生活にはいる。若者に支持された『プレイズ』は、「グランジ(歪んだ)文学」と呼ばれるが、この作品は映画化され注目された。彼の小説は後に、政治、歴史、犯罪を扱うものなどテーマは一作ごとに変わっていく。『ホワイト・アース』(White Earth, 2004)でマイルズ・フランクリン賞、インターナショナルIMPAC ダブリン文学賞など、国内外の文学賞を受賞する。『不思議な神のいない世界』(Wonders of a Godless World, 2009)では、これまでにない幻想と現実、科学と自然をさまよう世界を描いている。


ジョン・マックスウェル・クッツェー(John Maxwell Coetzee, 1940 - )

クッツェーは南アフリカのケープタウン出身で、アフリカーナ(オランダ系白人)の家系に生まれた。少年期、青年期のほとんどをこの地で過ごすが、ケープタウン大学を卒業した後、英国やアメリカにすむ。1971年に南アフリカに帰国、2001年までケープタウン大学にて教鞭をとりながら執筆活動をする。2002年にオーストラリアのアデレード大学の名誉研究員となり、2006年に市民権を獲得。2度のブッカー賞を受賞し、2003年にはノーベル文学賞を受賞している。彼の作品のほとんどが邦訳されている。『恥辱*』(Disgrace, 1999)鴻巣友季子訳(早川書房 2000)が代表作。彼をオーストラリア作家と呼ぶには議論のあるところだ。

オーストラリアのノーベル賞受賞者」在日オーストラリア大使館発行


ロジャー・パルバース(Roger Pulvers, 1944 - )

ユダヤ系アメリカ人の家庭に生まれる。カリフォルニア大学、ハーヴァード大学、ワルシャワ大学で政治学、ロシア語を学ぶ。アメリカからオーストラリアへ移住し、オーストラリアの市民権を取得するが、日本とオーストラリアに住む。映画、演劇、小説家、詩人など多才な作家であり、日本語で出版されている著作も多い。映画『戦場のメリークリスマス』の助監督も務める。小説は三作、『ウラシマ・タロウの死*』(The Death of Urashima Taro, 1980) 越智道夫訳(新潮社, 1980);『山下将軍の宝*』(General Yamashita's Treasure, 1986)堤淑子訳(筑摩書房 1986);『新聞を吸収した少女*』(The Girl Who Absorbed a Newspaper, 1990) 堤淑子訳(マガジンハウス 1990)などがある。


ダイアン・ハイブリッジ (Dianne Highbridge, 1945 - )

シドニー出身、シドニー大学卒業後、ロンドン大学と東京大学の大学院生として研究を続ける。その後、東京で創作や新聞へのコラムを書きはじめる。現在も日本に在住、執筆活動のほか、アメリカのテンプル大学の日本校や学習院大学で、Creative Writingなどを教える。彼女の小説、評論、短編などは、オーストラリアをはじめ、パシフィック、イギリス、アメリカなどの雑誌に収録されている。最初の小説『あまりに年下の彼*』http://culture-old.australia.or.jp/english/events/0301/dianne/index.html (A Much Younger Man, 1998)(集英社文庫 2002)は、5カ国語に訳されている。


* 日本語訳が出版されている作品