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オーストラリアのジャズ - 多彩な要素のアレンジを通して

ジョン・マクベス

2010年1月

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ワンガラッタ・ジャズ・フェスティバル 2009

日豪両国は、通商面では非常に活発なつながりを維持しており、日本は引き続きオーストラリア最大の輸出国となっている。一方、二国間の芸術文化交流はこれからもっと発展する余地が十分にある。オーストラリアで日本の芸術に対する知識が完全に普及しているとは言えず、その逆もまた然りかもしれない。本稿では、南半球のオーストラリアで大きく開花している、しかしまだ発展途上の分野であるジャズとその多様なスタイルについて、日本の読者の皆さまにご紹介したい。

ジャズの発祥の地、アメリカに続き、オーストラリアにジャズの時代が到来したのは1920年代のことである。以降20年間、ジャズはポピュラー音楽に影響を与え続ける。当時、蓄音器やピアノが普及していた国内全土の家々に、ラグタイムやアル・ジョンソンの映画「ジャズシンガー(The Jazz Singer)」の挿入曲、ファッツ・ウォーラー(ピアノ)など数々のミュージシャンの演奏によるジャズの音色が響いた。30年代後半から40年代全般にかけては、ベニー・グッドマン、ジーン・クルーパ、ウッディ・ハーマン、グレン・ミラーなどのビッグバンド(大編成バンド)が生まれ、オーストラリアのミュージシャンも、こうしたアメリカのバンドを真似て演奏するようになった。こうしてオーストラリアでも、ビッグバンドのスウィングに合わせてダンスフロアではジャイブやジルバが流行した。

同じ頃、ジャズの原型である「トラディショナル」(「トラッド」)または「ディクシーランド」(「ディクシー」)が、トランペット、トロンボーン、クラリネットの典型的なフロント3管編成で、大々的な復活を果たす。オーストラリアでも、ピアニストのグレイム・ベル(Graeme Bell、1914-)率いる「グレイム・ベル・ジャズ・ギャング(Graeme Bell Jazz Gang)」(1941年結成)と「ディクシーランド・ジャズ・バンド(Dixieland Jazz Band)」(1943年結成)が活躍し、トラッドシーンの本拠地としてメルボルンが隆盛した。レコーディングをし始めた彼らは、1947年にオーストラリアのジャズバンドとしては初のヨーロッパツアーを敢行し、1948年の英国での公演で大旋風を巻き起こした。既にこの当時、「オージーのハッピーでアウトドアな雰囲気」とベルが称する、オーストラリア独特のサウンドが楽曲に盛り込まれていた。バンドは、ルイ・アームストロングの名曲「聖者の行進」のカバー曲で、50年代初頭に圧倒的な人気を獲得した。そして、トラッド・ミュージシャンとビッグバンドは、この頃、国内の主要都市だけでなく、タスマン海を渡ったニュージーランドでも活動を展開したのだった。

しかし50年代の半ばまでに、ビッグバンドの時代は終焉を迎える。ポップ・ミュージックは変容を遂げ、エルビス・プレスリーがヒットチャートを独走していた。また、18人編成のビッグバンドを維持していくことが困難な経済状況ともなった。もちろん、ビックバンドは完全に消滅してしまったわけではなく、今でも、独自の高度な作曲とアレンジで、オーストラリアのファンを魅了する素晴らしいバンドは数多くある。さらに近頃、若者の間でスウィングのリバイバルブームの気配もある。一方、トラッドは、60年代まで演奏されていたが、そのファンの数は徐々に減少している。ミュージシャンと同じく、オーディエンスの大半が今では高齢となっており、トラッドを次世代に残すため、いかに現在の若者を惹きつけられるかをこれから見守りたい。現在でも、トランペット奏者のジェームス・モリソン(James Morrison)、ボブ・バーナード(Bob Barnard)、ピーター・ゴーディオン(Peter Gaudion)、ドラム奏者のアレン・ブラウン(Allen Browne)、バイオリンのジョージ・ウォッシングマシーン(George Washingmachine)、その他多くのミュージシャンが、トラッドやメインストリーム路線で活躍している。

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ジェームス・モリソン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
アレン・ブラウン

ジャズの最初期の形態は、「ブルース」と呼ばれるもので、アメリカ合衆国南部の綿花畑の労働歌がその発祥とされている。ブルースは、多少変更は加えられたにせよ、その原形のまま生き続けているだけでなく、ジャズの多様なスタイルの下地を形成してきた。興味深いことに、ブルース&ルーツ(ベーシックまたは基礎という意味で、ソウルやゴスペルなどを含む音楽)の人気は根強く、特にオーストラリア全国各地で開催されるブルース・フェスティバルを中心に、そのサウンドは大勢の耳の肥えたファンや若者を魅了し続けている。そこで国際的な舞台で称賛を得ている、オーストラリア出身のブルース・アーティストを紹介したい。まずはメルボルンを拠点とするスリランカ生まれの若手ボーカリストのアンドレア・マー(Andrea Marr)は、メンフィスで開催される「インターナショナル・ブルース・チャレンジ」で評価され、ハット・フィッツ&カラ・ロビンソン(Hat Fitz & Cara Robinson)は、ヨーロッパをツアーした際、オーストラリア風にアレンジしたデルタ・ブルースを熱唱。さらに、シドニーのトリオ「バックスライダース(Backsliders)」は、20年間にわたり、ハーモニカ主体の哀愁漂うブルースで世界中の観客を酔わせている。ルーツ・ミュージックのソウルのジャンルの有力ボーカリストはティナ・ハロッド(Tina Harrod)、アデレード出身のシャーメイン・ジョーンズ(Charmaine Jones)は、ゴスペル&ソウルの前衛的なミュージシャンである。

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ドン・バロウズ
写真: シェリル・ブラウン

ジャズ史における20世紀最大の出来事は、アメリカのサックス奏者であるチャーリー・「バード」・パーカーが40年代後半、それまで使用されていたコード進行に様々な音を追加しながらハーモニーを拡張し、それに合わせてメロディーをアレンジしていくという新スタイルを誕生させたことであろう。その後50年代にかけて、パーカーを始めとするミュージシャン達が、ビバップ・ムーブメント‐フレーズの大半がビバップ・サウンドで終わることが、その名前の由来‐の創成に携わった。オーストラリアのプレイヤーもこの流れをいち早く取り入れ、60年代には、前線で活躍するバンドが、アメリカ発のビバップの曲を演奏し、アメリカのプレイヤーと同じように即興演奏(インプロビゼーション)をするようになる。またこの頃、オーストラリアの先鋭的なミュージシャンが様式に従わない奏法、つまり「フリー・ジャズ」と呼ばれる、既存のリズムにとらわれない調性を軸とした即興スタイルの奏法を実験的に行うようになった。この風潮は80年代まで発展を遂げ、次第に個性溢れるパフォーマーが出現するようになる。そして国内のボップ・プレイヤーたちも、実験的なサウンドにチャレンジし、独自の音楽を表現・発展させるため、オリジナルの作曲をも手がけるようになった。この動きのパイオニアは、サックスのバーニー・マクガン(Bernie McGann)、ブライアン・ブラウン(Brian Brown)やドン・バロウズ(Don Burrows)、ピアニストのボブ・セダーグリーン(Bob Sedergreen)やセルジュ・アーモル(Serge Ermol)、ドラムスのジョン・ポシェ(John Pochee)、ビブラフォン奏者の故ジョン・サングスター(John Sangster)等のプレイヤー達であった。

オーストラリアのコンテンポラリー・ジャズは、その独特の音楽性を、80年代から90年代にかけて、着実に確立させていった。すべての州の大学にジャズ研究コースが開設されたことも相まって、シドニーとメルボルンを筆頭に、ブリスベン、パース、アデレードからも才能とオリジナリティ溢れるミュージシャンが続々と誕生していった。英国のジャズ評論家のスチュワート・ニコルソンは、2005年にその著書『Is Jazz Dead? (Or Has It Moved To a New Address)』の中で、「世界のジャズは、アメリカの模倣から自立し、独自の地理的・文化的要素を取り入れることで地域的な進化を遂げた」と語っている。本書の中で、彼はその例としてスカンジナビアのノルディック・サウンド、クラシックの影響を受けたヨーロッパのジャズ、独創的なオーストラリア・ジャズの発展などを挙げている。

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
マイク・ノック
写真: シェリル・ブラウン

オーストラリア独自のサウンドを誇る大編成グループとしては、第一級のソリスト、ピアニストの故ロジャー・フランプトン(Roger Frampton)の個性豊かな作曲が光る「テン・パート・インベンション(Ten Part Invention)」がある。同じくピアニストのマイク・ノック(Mike Nock)は、25年間アメリカで音楽活動を行い、1985年にシドニーに戻った直後、様々な規模のグループを編成し、多くの若手プレイヤーの指導にあたった。サックス奏者のデール・バーロウ(Dale Barlow)は、80年代初めにニューヨークで学び、オーストラリアに帰国する前に、ディジー・ガレスピー、アート・ブレイキー、ソニー・スティットをはじめとする数多くの一流アーティストと共演。ピアニストのポール・グラボウスキー(Paul Grabowsky)も海外で活躍したアーティストの一人で、ヨーロッパで6年間音楽活動を続けた後、80年代の半ばにオーストラリアに帰国。その直後、バーロウをサックス奏者として迎えたカルテット「ザ・ウィザード・オブ・オズ(The Wizards of Oz)」を結成する。その後、グループは6人編成の「ザ・グルーブマティックス(The Groovematics)」に発展し、3年以上の間、週5回のテレビ生番組への出演を果たした。

70年代と80年代のジャズ・シーンでは、更に新しいジャンルが開花する。ロックの特にリズムとジャズの要素を融合させたジャズ・ロックである。この火付け役となったのは、70年代初期にマイルス・デイビスが発表した革命的なアルバム「ビッチズ・ブリュー(Bitches Brew)」。オーストラリアでは「クロスファイヤ(Crossfire)」と「D.I.G(ディレクション・イン・グルーブDirections in Groove)」は、このジャンルでの二大実力派グループであった。

20世紀末までに、オーストラリアのジャズは、あらゆる面で、実にオリジナリティ溢れる音楽へと進化を遂げていった。言葉で明確に定義するのは難しいのだが、持ち味としてオーストラリアのジャズとはっきり分かるような独特の要素があるのだ。ボップの先駆者たちが高齢化する中、各州のジャズ研究コースからの卒業生が続々と巣立っていき、才能溢れる若手ミュージシャンがこれまでにない新しいアプローチを展開している。例えばラップトップを使ったエレクトニカ・ミュージックが導入され、多様な電子音響機材を用いることで、ギターに限らず様々な楽器の音色拡張が可能となった。さらに、60年代の「フリー・ジャズ」が再発見され実験的な方法で新しい次元へと進化する中、コンテンポラリー・ジャズの小編成・大編成グループ、ボーカリスト、ビッグバンドが、発展を遂げながら演奏とレコーディングを続けていたのである。

そして21世紀初めのこの10年には、サックス奏者のジェイミー・オハラ(Jamie Oehlers)とジュリアン・ウィルソン(Julien Wilson)、トランペッターのスコット・ティンクラー(Scott Tinkler)とフィル・スレーター(Phil Slater)、ピアニストのバーニー・マコール(Barney McAll)、マーク・ハンナフォード(Marc Hannaford)、アーロン・チョーライ(Aaron Choulai)、ボーカリストのケイティ・ヌーナン(Katie Noonan)とクリスティン・ベラルディ(Kristin Berardi)、ドラムスのサイモン・バーカー(Simon Barker)、ギタリストのスティーブン・マグヌッソン(Stephen Magnusson)とジェームス・ムラー(James Muller)など、高度な技を持った多くのミュージシャンが登場した。しかし彼らは、数々の楽曲を世に送り出す才能溢れた偉大なオーストラリアのミュージシャンのほんの一例にすぎない。なぜならオーストラリアのジャズは、シドニーやメルボルンの国際大都市から、赤く乾燥した内陸地、自然豊かな熱帯雨林の北部まで、その多彩な国土と同じように多様性に溢れているからである。

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ジェイミー・オハラ
写真: シェリル・ブラウン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
スコット・ティンクラー
写真: シェリル・ブラウン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
フィル・スレーター
写真: シェリル・ブラウン

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
バーニー・マコール
写真: シェリル・ブラウン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
サイモン・バーカー
写真: シェリル・ブラウン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
クリスティン・ベラルディ

オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ジュリアン・ウィルソン
オーストラリアのジャズ – 多彩な要素のアレンジを通して
ケイティ・ヌーナン
最新アルバムジャケット

著者紹介: ジョン・マクベス

ジャズ評論家として、オーストラリアの全国日刊紙「ジ・オーストラリアン(The Australian)」、同氏が拠点とする南オーストラリア州アデレードの地元紙「ジ・アドバタイザー(The Advertiser)」にて5年間執筆。愛好家として50年間ジャズを聴き続け、15年間にわたり、3州でラジオ業界に従事し、ジャズ番組を手掛けてきた。それ以前には、ピアノ、アルトサックス、クラリネットの演奏や、音楽理論も学んだ。ジャズへの情熱を分かち合い、時に同氏の記事の共同編集を行うメアリーと幸せな結婚生活を送っている。友人からまだピアノを弾いているのかと聞かれると、同氏はこう答える。「人前では演奏はもうしない。最近は、もっぱら人が演奏するのを批評するだけだよ。」


オーストラリアの主なジャズ・フェスティバル

ビクトリア州 (Victoria)

ニュー・サウス・ウェールズ州 (New South Wales)

クイーンズランド州 (Queensland)

西オーストラリア州 (Western Australia)


オーストラリアの主なジャズ・スポット

シドニー (Sydney)

メルボルン (Melbourne)

ブリスベーン (Brisbane)

アデレード (Adelaide)

パース (Perth)


最近のオーストラリア・ジャズ in 日本公演