メルボルン「都市とアートの融合」
山本想太郎
山本想太郎設計アトリエ
多様性が受容される街
成田空港を夜に発って機内泊で到着したシドニー空港で乗り換え、午前中にはメルボルン空港に到着。オーストラリアでシドニーに次ぐ大都市であり、「歴史的な建造物と現代建築、都市と自然が見事にミックスされた楽しく美しい都市の理想形のひとつ」と聞かされていた都市にはじめて降り立ったのだが、第一印象はまさにそのイメージどおりで、そのためか、未知の街に対する期待感というよりも安心するような親しみをまず覚えた。メルボルンの歴史における大きな発展は1850年代にヴィクトリア州中央部で金が発見されたことによるものであり、このときの所謂ゴールドラッシュで世界中から人々が集まってきた。また第二次大戦後には多くの移民を受け容れている。そして現代も多くの移住者や留学生が集うこの街の人や店の国際色は非常に豊かで、特に最近はアジア系の人々の数が増えているという。そのような人種の多様性もまた、旅行者であってもよそ者として扱われない居心地の良さを生み出しており、実際、駅や店などで私がいつものいい加減な英語で話しかけたときにも拍子抜けなくらい普通に対応されたことは、ちょっと新鮮な体験であった。
さて、早速「シティ」と呼ばれる(正式にはCBD: Central Business District)中心街を散策すると、碁盤の目状に整った地図の印象とは異なって、細い路地やアーケードが重要な歩行者動線となっていた(写真1,2)。そしてそれらの場所の雑然としつつも落ち着いた賑わいが成熟した都市生活文化を感じさせる。飲食店の充実も相当なもので、短い滞在であったためもちろん十分に体験することは適わなかったのだが、歩いているだけでもあらゆる国籍の美味しそうな料理店があり、その点もこの街の大きな魅力であることは間違いないだろう。
シティの中心部は商業エリアでもあるのだが、そこでは古い建築と現代空間の融合がかなり本格的に試みられているものが多く見受けられた。1870年にオープンしたロイヤル・アーケードなどにおけるような歴史ある雰囲気の継承だけでなく、オーストラリア最大の百貨店チェーンであるマイヤー・デパートは、クラシカルな外観を残したまま、内部にダイナミックに不整形な吹き抜けを挿入した現代建築となっていた(写真3)。その隣の、歴史的建築物の郵便局を改装してショッピングビルにしたGPOも上品な雰囲気である(写真4)。また市内最大のショッピングセンターであるメルボルン・セントラルは日本人建築家の故黒川紀章氏の設計であり、古い銃工場の遺構を利用した建物となっている(写真5)。さらに驚いたのはコリンズ通りに面したインター・コンチネンタル・ホテルの造りで、ロマネスク様式とゴシック様式の歴史的建造物2棟の間の元路地だった空間をガラスで覆って繋ぎ、そこをエントランスホールとしている(写真6)。制度的にも性能的にも、日本ではとても考えられない改修である。これらのような「新旧折衷」建築が、それこそいくらでもある。背景には、歴史的建造物が多く残るこの街の景観保存に配慮するという気持ちももちろんあるのだろうが、そのわりにはかなり躊躇なく大胆に新しい要素を挿入している。人種や文化だけでなく、新旧の違いについても、その多様性に対するこの街の包容力は懐が深い。
アートと現代建築
もうひとつ、これも予想を上回ったこの都市の要素は「アート」であった。メルボルンにはアート・デザイン関係の教育機関・展示施設などが抜群に充実しているのだが、街それ自体からもアーティスティックな雰囲気を感じることができる。例えばフェデレーション・スクエア(後述)の北側にあるホージャー・レーンとその裏路地はグラフィティ(落書き、もしくはそのような技法の壁画)の名所となっており、派手なグラフィティが風景を埋め尽くしている。政治的なメッセージの落書きもあったりするのだが、裏道の荒んだ雰囲気はあまり無く、それよりも自由で元気な雰囲気が勝っていて、歩くだけでなかなか楽しく、美しい(写真7)。そして何といっても、アーティスティックな都市の最大の「表現」は建築であろう。ここからも建築を中心にメルボルンを見ながら、散策レポートを続けたい。
シティを西に抜けると、長距離列車の到着するサザンクロス駅(写真8)。この駅はイギリスの建築家ニコラス・T・グリムショウ氏の設計によるものであり、大きくうねった屋根が巨大なランドマークとなっている。外観だけでなくプラットフォームを覆う内部空間もダイナミックで、長旅の高揚感を盛り上げてくれる。駅からさらに南西に進むと、そこはドックランドというウォーターフロントの広大な再開発エリアで、メルボルンの新名所として売出し中らしい。工事中の建物も多数あり、オフィスビルや集合住宅などかなり力の入った現代建築やパブリック・アートも多かったのだが、残念ながら訪れたのが日曜日であったため行き交う人も少なく、平日の活気ある状態は見られなかった。そこからメルボルンの中心を流れるヤラ川を南に渡ると、オーストラリア最大の展示場であるメルボルン・コンベンション&エキシビション・センター(設計:DCM)、その東のサウス・メルボルンのオフィス街を抜けて芸術指定地区にあるオーストラリア現代美術センター(ACCA)(設計:ウッド・マーシュ)(写真9)、メルボルン・リサイタル・センター(設計:アシュトン・ラガット・マクドゥーガル)(写真10)など自由自在な造形の現代建築に次々出会うのだが、そのような現代建築群の代表格ともいえるものはやはり、フリンダース・ストリート駅前にあるフェデレーション・スクエアであろう(写真11,12)。国際設計競技を経て建てられたこの施設は1990年代に世界の建築界を席巻した「デコンストラクション(脱構築)」というデザイン潮流の集大成ともいえるような大建築で、その奔放に軸線の錯綜するデザインの全体像は地上からでは捉えにくいが、南半球で最も高い展望台といわれるユーレカスカイデッキ88からはバッチリ見下ろせる。
今回、フェデレーション・スクエアの設計者であるLAB設計スタジオのドナルド・ベイツ氏にもお会いすることができたのだが、氏の説明によるとこの建築のデザインは、アボリジニ・アートを参照したものでもあるとのことであった。ACCAも同種のデザインなのだが、デコンストラクションはここの風土気質となかなか馴染みが良かったようである。サザンクロス駅やフェデレーション・スクエアのような大胆な造形と19世紀の建築との景観的な調和を疑問視する声もあるというが、少なくとも私には、それらの存在が不調和とも、都市に悪影響を及ぼしているとも思えなかった。先述の「新旧折衷」建築もそうであるが、歴史的建造物と奔放な現代建築の並存が、この街では不思議と心地よいのである。メルボルン全体がかもし出す、都市・自然・人のすべてを融合させる包容力のようなものが、そこには作用しているのだと思う。私たちは今回、近郊のモナシュ大学を訪れ、そこにおける建築・アート教育も視察した。メルボルンにはメルボルン大学、モナシュ大学、RMITといったオーストラリアを代表する大学が集まっており、いずれのアート・デザイン系学部もレベルが高いのだが、何か大学キャンパスの自由で楽しげな雰囲気が、そのままメルボルンという街全体に敷衍しているようにも思われた。
歴史的建造物
次はメルボルンの歴史的建造物について。目に付くのはやはりヴィクトリア調の建築群であろう。もちろんこれはゴールドラッシュにより街が急成長した19世紀後半の流行様式であるためだが、このヴィクトリア様式自体がゴシック、バロックなどの装飾を混成したものであって、メルボルンにおける歴史的建造物だけをとりあげても実は結構多様である。そのなかでも西洋建築としてオーストラリアで最初に世界遺産に登録された王立展示館は1880年に完成し、メルボルン万国博覧会の会場ともなった建物で、設計者はメルボルン市庁舎も設計したジョセフ・リード氏(写真13)。前面に美しいカールトン庭園を構えた風格のある巨大建築であるが、そのすぐ後ろにはそれを上回る巨大なスケールのガラス張り現代建築であるメルボルン博物館(設計:DCM)が対峙しており、このあたりはさすがメルボルンとでもいうべき風景であった。
王立展示館から少し歩くと旧メルボルン監獄があり、この建物は現在観光施設となっている(写真14)。ゴールドラッシュとともに急増した囚人を収監するために1858年に建設されたもので、有名な強盗ネッド・ケリーが絞首刑になった場所でもある。展示はなかなか見ごたえがあって、また刑務所内部の空間にも独特のインパクトがあった。その横にはノルマン・ロマネスク様式の旧治安判事裁判所の建物がある(写真15)。さらに歩を進めてシティの東側、イースタンヒルに建つ見事なゴシック建築はセント・パトリック大聖堂(建設に90年くらいかかって1939年完成)。その近くにあるオールド・トレジャリー(旧造幣局。1862年完成)はメルボルン随一の「ブルーストーン」建築といわれている。この「ブルーストーン」という青みがかった石は、歴史的建造物から現代建築まで、ここで挙げてきた建築にもとにかく多用されていて、何しろこのオールド・トレジャリーのすぐ東のフィッツロイ庭園が昔はブルーストーンの石切り場であったというくらい、地元でよく採れるものらしい。もしかしたらメルボルンにおいて新旧建築が上手く馴染んで見えるのは、この石の影響もあるのかもしれない。すぐそばにあるギリシア建築のようなコリント様式のヴィクトリア州議事堂(写真16)は1856年に作られたものだが、その白く堂々としたファサードの完成には1893年までかかっており、それは地産のブルーストーンを用いずグランピアン(メルボルンの西230km。現在は国立公園)からの石材調達に時間がかかったためらしい。もうひとつのメルボルンを象徴するギリシア風建築である戦争慰霊館(1934年完成)も荘厳な雰囲気を持っており、シティの少し南東に建つこの建築からは、先述のユーレカスカイデッキとはまた違う視点と気持ちでメルボルンの「外観」を望むことができる(写真17)。
環境配慮建築
メルボルンはシドニーと同じく温帯性気候域に属しており、真夏でも30度を超えることはあまりなく、冬に最低気温が氷点下になることもなく、降水量も少なめで安定しているという程よく過ごしやすい気候である。加えて面積の4分の1を公園が占め、「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑に囲まれている。そのような気候・環境の穏やかさもまた、この街の雰囲気と密接に結びついていることは間違いないだろう。とはいえオーストラリアも他の先進国と同様に建築の環境性能に関する意識は進んでおり、いわゆる「エコ建築」についても注目すべきものがいくつかあった。まずはリトル・コリンズ通りに面した公営住宅で、日除けルーバー、垂直面緑化、風力発電装置、自然換気塔など、教科書通りのエコ装置の集大成のようなビルで、ひときわ目をひいていた(写真18)。もうひとつはヴィクトリア国立美術館(増改修設計:マリオ・ベリーニ)(写真19)。この美術館はもちろんその空間規模とコレクションの充実ぶりこそ語られるべきもので、日本展示ギャラリーのレベルの高さだけでも驚かされたのだが、建物の積極的な省エネルギー配慮でもまた目を引く。特に印象的なのは自然採光の活用で、ギャラリー周りの通路の天井が高窓から自然光を巻き込むように採り入れる反射板形になっており、ガラスでできた床を透して、下の階までその光が到達するようになっている(写真20)。この建物の増改修も国際設計競技だったのだが、いかにもコンペ当選案らしい大胆で印象的な仕掛けであった。これらの建築はエコ装置をそのデザインに完全に取り込んでおり、装置の美しい存在感がかえってエネルギー問題の切実さをあまり感じさせないという結果になってしまっている感もあるが、それも気候の良さゆえだろうか。
優しい「表現」の力
建築と街並みを中心にメルボルンを見てきたが、この街の「美しさ」は、整ったピカピカのきれいさではなく、アートの香る文化的な雰囲気によるものであった(写真21)。えてして先鋭的な芸術表現は難解で、傷みを感じるような刺激を伴うものなのだが、この街に溢れる「表現」はもっと優しい気配を備えている。それはアートに込められる力が抑えられているからではなく、述べてきたようにこの街のおおらかな包容力とでもいうべき雰囲気のためであろう。ゆえにここではアートと、歴史、人が対立せず、独特の融合を果たしている。このことの持つ意味は小さくなく、アート、建築、都市といった現代においていささか閉塞感のある言葉に、なにか新しい価値を与えてくれる可能性すら感じさせる。その心地よい刺激こそが、私にとって、この街の最大の魅力であった。 (写真はすべて筆者撮影)