Welcome to the オーストラリア大使館のカルチャーセンター

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シドニー訪問記 『都市の新しいあり方』

今村創平

有限会社 アトリエ・イマム 一級建築士事務所 代表

蒼天のサーキュラーキー。空気は適度に乾燥し、日差しも快適といえる程度に強い。5月の初旬であるから、季節を半年まわすと日本でいえば11月。そろそろ冬に近づく時期ではあるものの、いまだ夏の終わりといった具合である。実は、私の怠惰のせいで執筆が1年以上遅れてしまったが、これは昨年5月にオーストラリアを訪問した時の話しであり、そしてここで書くには、その滞在も後半の週末のある一日のことである。在日オーストラリア大使館の招聘プログラムで、ともに建築家である私と山本想太郎氏は、はじめてオーストラリアを訪問した。10日間に渡って、オーストラリアの建築や都市、大学での建築教育の状況などを視察する、貴重な機会をいただいたのであった。

まずはこの日の午前は、シドニー・ハーバーのフェリーを楽しんだ。船の先頭に立っていると、結構な速度で進むフェリーは、時折飛ばす水しぶきと叩きつける風とで、それなりの注意が必要だが、何とも開放的で爽快な気分を味わえる。

フェリーに乗ったのは、コアラとカンガルーに会いに行くためであった。オーストラリアに行くというと、誰もが広大で圧倒的な大自然に包まれ、コアラやカンガルーとたわむれに行くのだ、と思う。しかし、われわれのミッションは、オーストラリアの都市や建築の視察であって、行動範囲はほとんど都市部に限られる。さすがに都会の真ん中にコアラやカンガルーはいない。幸いサーキュラーキーの対岸にあるタロンガ動物園には、オーストラリアの動物が一通りそろっているのだという。しかも対岸からのシドニーの都市の光景(写真1)もまた見ものなのだとか。であれば、躊躇することなく、我々はこの午前中を、クルーズと動物園にあてることにしたのだった。コアラたちの話ばかり長々としていてもしょうがないだろうから(しかしこれからオーストラリアに行く予定がある人にとっては、最も重要な情報なのかもしれない)、その報告は簡単にとどめるが、午前中に動物園に行くのはアウトです。夜行性のコアラもカンガルーも、まさに夢の中。ピクリとも動きません。コアラは木の上の方で固まっているし、カンガルーは弛緩しきった体を地面に横たえている。

さて、クルーズと動物園でいくばくかの興奮をし、またコアラたちと倦怠感を共有したのち、サーキュラーキーに戻って、しばしロックスのあたりを散策する(写真2)。ロックスというのは、シドニーの歴史が始まった場所であり、往時の古い建物が残りつつも現代風のカフェがあったりし、それが細く入り組んだ路地や起伏のある地形と絡み合って、歩いていてなかなか楽しいエリアである。歴史的な建物をうまく組み込みつつ、観光的要素が俗になり過ぎていない様子は、こうした場所としてはうまくいっていると言えよう。ロックスというのは、サーキュラーキーから海側、すなわち北側を望むと左手にあり、ハーバーブリッジ(写真3)の根元にあたる。右手の突端には、あのシドニー・オペラハウス(写真4)がある。

Sohei Imamura
写真1:©今村創平
Sohei Imamura
写真2:©今村創平
Sohei Imamura
写真3:©今村創平

われわれ建築家にとって、シドニーといえばオペラハウスであるが、それは一般的なヴィジターにとっても同様であろう。実現に際してのさまざまなゴシップも交えて(例えば、建設工事費が当初予算から桁違いと言えるほどオーバーしたとか)、ハーバーブリッジとともにシドニーという都市のアイコンとなっている。シドニー・オペラハウスは、現代建築でありながらすでに世界遺産として登録されているが、今回訪問してそれが十分納得できる優れた質を備えた建物であることが確認できた。外観はよく知られているように、白い円弧が重なり合うような造形を持つが、どちら側から見ても見ごたえがあり、シドニー湾に広がるランドスケープに見事にマッチしている。外観が特に有名であるが、内部もまたとても完成度が高い優れたデザインであることを発見し、感銘を受けた。今回は見学ツアーに参加したので、各ホールやホワイエはそれぞれ短い時間の見学であったが、これは是非鑑賞チケットを購入し、その内部に数時間浸るべきだ、次回は必ずそうしようと強く決意した。陸側のエントランスから入ると、通路の空間がダイナミックに展開し、そのまま海側のホワイエと導かれる(写真5)。ホワイエと海の関係もとても見事だ。音楽ホールの中も、建物外観同様特徴のある、流れるような造形を有し、座席の色や細部に至るまで、デザインに隙がない。

シドニーに観光に来る人は、このオペラハウスハーバーブリッジがお目当てであるから、この二つを望むことのできるシドニー湾沿いは平日でも観光客で賑わい、オペラハウスや海を望むように、カフェ、レストランがずーっと連なっている。まさにここでオペラハウスに見ながらシャンパンを開ければ、リゾート気分を満喫できるとあって、これらの席はとても高額であり、後から比べたところ、市内のインターコンチネンタルといったハイグレードのホテルのカフェよりも高い(ついでながら、古い建物の外壁を残したまま思いっきり現代風のインテリアに改装しているインターコンチネンタルのカフェは、私がシドニーで体験した最も優れた空間のひとつ(写真6))。

Sohei Imamura
写真4:©今村創平
Sohei Imamura
写真5:©今村創平
Sohei Imamura
写真6:©今村創平

ビルバオ・エフェクトという言葉がある。スペイン、バスク地方の都市ビルバオは、かつて有数の工業都市として栄えていたが、戦後衰退の一途をたどっていた。1997年、グッゲンハイム美術館の分館が、フランク・O・ゲーリーという建築家の手によってこの街に建てられたが、その建物は3次元の曲面からなる巨大な彫刻のようなものであり、全体がチタンで覆われ光り輝いていた。結果、この建物が大きな評判を呼び、人口35万人の都市ビルバオには毎年100万人単位の訪問者が訪れるようになり、このかつての工業都市は、現代の文化都市として奇跡の復活を遂げたのである。この事実は、90年代に文化による都市間競争をしていたEU諸国を大そう刺激し、実に多くの都市による、著名建築家に斬新な建物を発注し、観光客を誘致するという政策を導くこととなった。これは、ここ15年あまり今日までも続いている現象であるが、このことを議論する際に必ず引き合いに出されるのが、シドニー・オペラハウスなのである。

シドニーは、外国からの訪問者を惹きつける多くの資産を持ち、しかしながら観光にすっかり依存し市民は黒子であるような都市ではなく、ここに住む人たちもいきいきとした日々を送っている。ヨーロッパの伝統的な都市には遺産はあるものの、現代の産業がなかったり、アジアの新興都市には経済活動はあるものの、文化的蓄積に欠けていたりする。シドニーは、それらがバランスを取れている稀有な事例であるが、それは現代都市にとって今後ますます必要とされるキャラクターであろう。

われわれは、サーキュラーキーの西側にある現代美術館カフェでランチをとることにした。実はこの日の午後は、シドニー大学の建築学科に留学中のHさんとこちらの設計事務所に勤めるKさんとが、市内案内を買って出てくれて、ここで待ち合わせをしていたのだった。もちろん、こちらも専門家なのでそれなりの下調べをしてから乗り込んでいるのだが、どの都市であってもそこに住んでいる人に案内していただく方が、効率よくまた的確に見学ができる。

現代美術館は、あいにく改装中で一部しか公開されていなかったが、完成のあかつきには、シドニーのアートシーンに厚みを加えるだろう。(この美術館の改築は国際コンペで日本の建築家妹島和世が一度選ばれたのだが、その後残念なことにその計画は見直しになってしまった。オーストラリアは、日本と比べれば美術館やギャラリーの数はまだかなり少ないが、美術館のコレクションはレベルが高い。マーク・ロスコの前を急ぎ足で過ぎたりと、美術館での時間を十分に見込んでおらず、悔んだこと数回。アボリジナル・アートもかなり楽しい。)このカフェは公立の施設だから値段もリーズナブルであったが、今日都市と観光を考える中で食もまた重要な要素である。いくら見どころのある場所であっても、食が貧弱であれば人はホリデーでは出かけない。今日のオーストラリアの食が充実していることは、前もって情報を得ていたが、現地で毎日飲み食いをしているとそのことが実感される。オーストラリアというと、ますはオージービーフが連想されるかもしれないが、何だかアメリカと似たような大雑把な食文化だと思っている人は考え方を完全にあらためた方がいい。肉、魚、乳製品、ワインといった食材のレベルは、とても高い。オーガニックブームを反映し、ナチュラルな食材が流通している。

美術館のカフェでのランチを終え、われわれ一行は市内見学を再開した。サーキュラーキーの東側の王立植物園は、今回は時間がなくパスしたが、こうした王立植物園というのは、典型的な大英帝国のヴォキャブラリーであって、メルボルンのものは訪れた、がそれはまた見事なものであった。高木の立ち姿、珍しい鮮やかな花、それらが一体となった光景。それは唖然とするほど美しく、ピクチャレスクとはこういうことかという合点がいく、精緻に作り込まれた景観が広がっていた(しかも平日の昼時のせいか、他に来園者はほとんどいなかった。)

サーキュラーキーのまわりは観光地なのだが、そのすぐ南側は、シドニーのビジネス街であり、超高層ビルが林立している(写真7)。好景気を反映してか、国際的に著名な建築家による工事中のものもある。オーストラリアは、世界第6位の国土面積を持つが、人口は2000万人。とすると、日本に比べて人口密度は極端に少なく、広大な土地に人びとが点々と住んでいると思われるかもしれない。しかし、その大地のほとんどは居住や農耕には過酷過ぎる環境であり、人びとは海沿いの限られた土地の大都市に集中して住んでいる。シドニー、キャンベラ、ブリスベンといった3大都市だけで居住者は1000万人と、国の人口の半数が集まっており、よって、都市部はその国土の広大さに反して、きわめて過密な場所となっているのである。そしてシドニーは、さまざまな世界都市ランキングで10数位に登場する、南半球最大の都市でもある。

シドニーの都市としての歴史はそれほど古くない。東京が、都市として発展をはじめたのが、家康が幕府を開いた400年ほど前とするならば、シドニーはその約半分の長さの歴史を持つ。シドニーへの入植がはじまったのは1788年であり、当初は流刑地であったため住民多くが囚人であった。だが、街は着実に発展を続け19世紀中ごろには、ある程度街の整備も進み、囚人の人口比も数パーセントとなっている。その頃、ゴールドラッシュが起き、以後都市は拡大の道を進み、現在に至る。であるから、市内に残っている歴史的建造物というのは、古いもので200年ほどのものであり、都内で明治初期の洋館建築を見つけるのと似たような感覚かもしれない。

その頃、シドニーで活躍した建築家にフランシス・ハワード・グリーンウェイ(1777年~1837年)という人物がおり、当時のシドニーにおける中枢的な建物を多く手掛け、それらのうちいくつかは今でも残っている。この日われわれが訪れた彼の作品、ミント(別名ラム病院、1816年)、ハイド・パーク・バラック(囚人のための宿泊及び作業のための施設、1819年、写真8)、セント・ジェームス教会(1820年、写真9)は、それらの代表的なものだが、病院、囚人のための施設、教会と、社会の整備が進むにつれ必要とされた建物ばかりであり、そのことからも彼が当時重要な役割を果たした建築家であることがわかるだろう。特に、ハイド・パーク・バラックは、流刑地であったオーストラリア特有の建物であり、現在は見学が可能な展示施設となっており、シドニー訪問の際には、ぜひ訪れた方が良い。

Sohei Imamura
写真7:©今村創平
Sohei Imamura
写真8:©今村創平
Sohei Imamura
写真9:©今村創平

こうした建物は、市の中心部東側の一角にかたまっており、そのあたりがかつてのシドニーの中心であったということであろう。この街の中心部の街路はグリッド上に整備され、それはメルボルンも同様である。古い時代からの歴史をもち自然と拡大していった都市は、このような整然とした街割りを持てず、ある程度自然の地形に沿った形で発展を続ける。ローマ、ロンドン、パリなど、みなそうである。一方、入植によって計画的な都市づくりが行われたところは、グリッドのパターンを持ちうる。シドニー以外でも、ニューヨーク、バンクーバーなどがすぐに思い当たる(中国は古来、整然とした幾何学に沿った都市計画をしていたことで知られ、京都がそれに倣ったことはご存じであろう)。シドニーがユニークなのは、グリッドを持ちながら、地形はかなり起伏に富み、よって普通のグリッド都市が持つような単調さを免れていることである。歩いていると、目の前のシーンが次々と変わり、飽きることがない。

一方で、比較的若い都市のため、建物の多くが近代的なビルであり、それが立ち並ぶ様は、例えばシンガポールや上海をはじめとする、新興のグローバル・シティと変わるところはない。アジア的な混沌としたところがなく、どこも新しく健全な様子であるので、ニュートラルな現代都市の典型との感もある。(またシドニー市内のビルはおおむね品がよく、いくぶん奔放なデザインの建物が散見されるメルボルンとは対照的。こうした都市の雰囲気は、そのまま二つの都市の気質の違いを良く表わしている。)

では、現代の都市としてのシドニーらしさはないのか。

私は、それは高度に発展した現代都市と大自然の近接にあると思う。長らく都市というものは、親自然的な郊外に比して、環境が悪く、ひとびとにある我慢を強いる場所であった。それは、近代以降さまざまな都市が出現する中で、避けては通れぬ課題であり、しかし都会というのは環境の悪さを補って余りある魅力を持つのだから、人びとを惹きつけてやまないのだとされて来た。

しかし、この頃では、そうした悪い場所としての都市像を肯定する感受性に対する、潮目が変わってきている。例えば、アメリカでは、ニューヨークやロサンゼルスといった従来のメトロポリスから離れ、ポートランドやシドニーといった(カナダではあるがバンクーバーをそこに含めても良い)、居住や仕事の環境に恵まれた都市を志向するというクリエイティブな層が存在するという指摘がある。実際にシアトルには、マイクロソフト、スターバックス、アマゾンなど、新しい形の産業が生まれており、環境が良い場所からでないとクリエイティブなものは生まれない、またはクリエイティブな連中は環境が良い都市をめざすというわけである(写真10)。

Sohei Imamura
写真10:©山本想太郎

そうした議論からすれば、シドニーには大きな可能性があることは明らかだろう。集約的にビジネスができる密度を保ちながら、広大な自然はすぐそばである。国としての経済も、世界各国の不調に比して極めて健全であり、人びとのマインドもまた健康的である。今回、シドニーの魅力を堪能したわれわれだが、この都市は今後さらに魅力ある都市へと進化するだろう。

さて、シドニーという都市については以上である。シドニーでは、他にシドニー大学シドニー工科大学を見学し、オーストラリアでの建築教育の現場を見せていただいた。シドニー大学では、レクチャーをする機会もいただいたので、訪問の2か月前に東北で起きた3.11の説明をし、自然災害と日本の建築文化との関係についての話をした。その話しの最後には、今回の地震で越後妻有のオーストラリア・ハウスが全壊したことにも触れ、国際コンペで新しいオーストラリア・ハウスの案を募ることも伝えた。後日談であるが、そのコンペは、昨年9月に審査会が行われ、オーストラリア人の建築家アンドリュー・バーンズさんの案が選ばれ、現在7月末オープンに向けて工事中である。