メルボルン、モナッシュ大学におけるアーティスト・イン・レジデンス
森 弘治 (アーティスト)
2010年4月 - 7月
2010 年4月27日 - 7月14日の期間、トーキョーワンダーサイト、アジアリンク (Asialink)、モナッシュ大学美術館 (Monash University Museum of Art)で共催された二国間交流プログラムに選ばれメルボルン郊外にあるモナッシュ大学へ滞在することができた。
「アーティストレジデンス」とはなにか?アーティストは「レジデンス」に行っていったい何をしているのか?と疑問に思っている方も多いかもしれない。今回はアーティストとしてその1例を紹介するべく約3ヶ月の滞在の詳細を記したいと思う。
アーティストレジデンスとはアーティストにとってどのようなものか。私の体験してきたプログラムの多くは「1ヶ月-3ヶ月現地に滞在し作品制作をする」といったものだ。なんて素敵なプログラムだろう、そう思われるかもしれない。しかしアーティストにとってなかなか難しいプログラムでもある。渡航時は「たくさん作品を作るぞ、良い作品を作るぞ」と勢い勇んで行くものの、帰国時には思うように制作が出来ないままその地を離れなければならないという焦りと挫折感に襲われることが度々あるからだ。そんな挫折感を何度か味わうと、レジデンスを「成功」させることはアーティストにとって大切なミッションとなる。特に「せっかく違う環境に行くのだから現地の人と関わりながら作品を作りたい」などという目標を立てると人探しやスケジュール調整で通常の3倍くらい速く物事を進める必要があり、右も左 も分からない場所でプロジェクトを実行する為にたくさんのエネルギーを要することとなる。そんなプレッシャーだらけのレジデンスの良いところは「何もかも忘れて作品制作だけに集中する時間が出来ること」だと思う。自国での日常は生きていくことに追われ純粋に作品について考える時間は生活の中にほんの少ししかとれない。レジデンスでは朝起きてから夜寝るまで思う存分自分の時間を作れる。今までの作品やこれからの活動について考えたり自分自身を整理し修正をかけていく為に、これほどじっくり考えられる時間は他にはあり得ないと言ってもいいだろう。そういう意味でアーティストレジデンスはアーティストにとって非常に重要なプログラムであるといえる。
モナッシュ大学 / 展覧会
メルボルンはオーストラリアの中でも最も文化の濃い都市といわれている。確かに街にはたくさんのギャラリーやオルタナティブスペースが存在し、毎週末必ず街のどこかで展覧会のオープニングが開かれていた。アーティストが多く活動する地区もあったしアーティスト同士の繋がりも非常に強く感じた。メルボルンにはメジャーな芸術大学が3つ存在しその中の1つモナッシュ大学が今回の滞在先であった。
大学機関と深く関われるということで滞在前から3つの目標を立てていた。
- 展覧会の実施
- 新作を含めたテスト作品制作(学生とのワークショップも含む)
- 大学における美術教育の現場を視察し、教員との意見交換をする
到着の翌日さっそくモナッシュ大学で一般公開の講演を行った。講演では以前住んでいたアメリカでの制作活動、絵画から映像作品へ移行する経緯や日本に帰国してから近年の作品をスライドで見せながら詳しく説明した。メルボルンに到着してすぐの講義だったので少し環境に慣れないところもあったが、オーディエンスは学生や教員が多かったこともあり、比較的スムーズに聴講してもらえたと思う。その翌日からは、学校利用におけるオリエンテーション(学校での規則、図書館やITルームの利用方法)、ID作り(教室やスタジオの出入り、図書館で本を借りる時などに必要)、銀行口座開設など事務的な手続きをこなした。
今回のレジデンスはモナッシュ大学にあるギャラリー(Monash University, the Art and Design, Caulfield Campus, Monash Faculty of Art and Design Gallery)で個展を開くことが決まっていた。出発前に展覧会の詳細をつめる時間がなかったためメルボルン到着後すぐにモナッシュ大学美術館のディレクター(Max Delany)と担当キュレーター(Dr Kyla McFarlane)と展覧会のコンセプト、会場のレイアウトやカタログについて会議を始めた。展覧会が近くなると現地のアーティストの助けを得て展示用の布(防音のため)を裁縫。時間が限られていたにも関わらずたくさんの方々が協力してくれて展覧会の準備はスムーズに進んだ。
展覧会の施工はBrian Scalesという1人の男性をトップに5人ほどのエンジニア(日替わり)で行われた。Brian Scalesはメルボルンの数々の美術館やヴェネチアビエンナーレ・オーストラリア館でも仕事をしている人でとても頼りになった。海外での展示施工は日本での作業とは大きく異なる。まず1番の違いは木材のサイズだ。日本では壁などの造作をする場合、骨組に「垂木」という木材(40mmx30mm×4000mm)を使用するが、オーストラリアでは2x4という木材(38mmx89mmx4200mm)が使われる。壁面は日本ではベニヤ(1800mm×900mm×5〜7mmの厚み)、オーストラリアではドライウォールが使われていて、今回は4200mm×1200mm×13mmが使われた。このサイズのドライウォールを見たのは初めてでその大きさと重さに少し驚いた。海外での展示を見ると素材やサイズの違いは身体の大きさや土地の大きさに関係していると改めて感じる。日本で使う材料に比べ全体的に重量があるためインスタレーションで大きな物を作る作家は気をつけなくてはならない。現地のやり方で自分が理想とする形にどれだけ近づけられるかが重要になる。今回の施工期間は4日間、人手が足りなかったため、全日一緒になって手伝いをした。現場での共同作業はとても面白い、1つの展示を完成させるのに何通りもの手法を考えながらベストな方法を探る。そんなエンジニアとの会話の中から技術の違いや考え方の違い、文化の違いまで感じ取れることがある。
今回の展覧会のタイトルは『Speech Rehearsals: Students, Housewives, Politicians』語ることや演じることをテーマに映像インスタレーションを3点、写真作品1点で構成した。メインの作品「Re:」は、2009年の終わりに制作した映像作品で内容はある主婦の「年収1000万円で出来る贅沢は何か?」という質問に対し19人の女性が回答していくというものだ。演技に立ち上げる際に1人の女優に全ての役を演じ分けてもらった。メイクや衣装を変えた女優が次々と現れ、家庭の年収や生活の不満 / 自慢を話していく。もう1つの大きな作品「Student Actors」は、2009年に制作した映像作品で日本の国会で実際に行われた「UFOが攻めて来たら日本はどのように対応するのか」という答弁を引用して、それをもとに演劇を学ぶ学生達に再演してもらったものだ。
初めて滞在する場所で自分の作品を見てもらえることはいつでも有意義かつ嬉しいことである。その土地の人々が展覧会へ来て何らかしらのフィードバックをくれる。今回展示した作品は日本の現代社会を反映したものが多かったため興味深く観てもらえたようで反応も大きかった。また、オーストラリアの新聞「The Age」の土曜版A2に展覧会のレビュー記事(Rule, Dan. "Around the galleries / Hiroharu Mori: Speech Rehearsals." The Age / A2 newspaper, 5 June. 2010, P.18)が掲載され、それによって美術関係者だけでなく、地元の人々など幅広い層の観客に展覧会を知ってもらうチャンスが増えたことも良かった点だった。
美術教育 / アーティスト事情
大学研究員(Visiting Scholar)が来たということでファインアート学部の教員を集めてランチミーティングを開いてくれた(教員30名ほど参加)。モナッシュ大学の多くの教員と交流ができ、教育について話し合う機会をたくさん持てた。その中でも、メルボルンはPh.D(博士課程)の教育がさかんであるというのが印象的だった。特にモナッシュ大学は奨学金が充実しておりオーストラリア各地のみならず世界中から学生が集まっていた。学部生より大学院生の数が多いというから驚いた。その背景にはPh.Dを取得しないと就職口がない(特に教育機関)という事実があるようだ。Ph.Dの研究は主に「スタジオワーク / 作品制作」と「理論」を中心に行われる。しかし 近年の傾向では「理論」を重視するために「スタジオワーク / 作品制作」がおろそかになっている学生が多いそうだ。「あまりにもPh.Dが重視されるこの環境はいい結果をもたらさない(アーティストを産み出しにくい)」という教員の意見も聞かれた。「アーティストにPh.Dが必要なのか?」という疑問はどこの国でもよく出てくる話だ。また、日本ではアーティストの学位取得が就職に繋がるかというと、そうはいかないと言うのが現実だろう。
もう一方でモナッシュ大学の教育環境は非常に良いと感じた。印象深かったのはほとんどの教員が自分自身もアーティストやキュレーターなど表現者として活発に社会に発信し続けていることだ。現役の表現者が教育の現場で重要な役割を担うこと、そして様々な世代(30 - 60代)の教師3、4人が混在したグループで各学年を担当して指導していることも、世代間の考え方の広がりを持たせる意味でもとても良いことだった。大学に長くいる教員が偉い立場になるのではなく、外で多く活躍している人ほどディレクターなどの立場についていたように思う。そんなこともあってか、教員はみな元気がよく、美術の動向についてとても敏感だった。さらに、教員の作品 / 企画する展覧会 / イベントなどを学生が常に見られるというのもとても良い刺激になっていると思う。
メルボルン北部に位置するノースコートというエリアにあるスタジオを訪れた。元々、縫製工場だった場所を活用したもので、1フロアを4、5人のアーティストがシェアしている。その中で2人のアーティスト、Tom NicholsonとChristian Capurro(どちらもモナッシュ大学の教員でもあり、国際的に活躍している芸術家)のスタジオを見学させてもらえた。1つのスタジオは250m2程、天井までの高さは4mほどあっただろうか、東京近郊で1人のアーティストが持つには考えられない広さだ。夏は暑くて冬は寒いと言う(おなじみの)不満はあるようだが、スタジオを持っていない私にとってはうらやましい環境だった。
メルボルンには多くのスタジオが存在すると共に多くのオルタナティブスペースが存在する。週末になると街のそこかしこでオープニングが開催され人でごった返している。アーティストにとって身近に制作する場所があり発表する場所があるというのはとても重要なことで、このような状況が現在でもメルボルンが文化的に栄えていると言われる理由ではないかと思う。また、アーティストやキュレーター同士の関係も強く今回の滞在でもアーティストの友達のそのまた友達といったようにたくさんの表現者に出会うことができた。
作品制作
今回のレジデンスで最も重要だったのはやはり滞在先が大学機関であったということだ。モナッシュ大学はファインアート、工芸、建築、デザイン、ビジュアルアート、デジタルアートなどの学科があり、大きなビデオスタジオ、写真スタジオ、現像用暗室、工作室(木工、金属、 大体の物が加工できる)ITルーム(PC、映像撮影及び編集機材、大型プリンター、立体レーザーカッター完備)がある。さらに図書館も利用でき、個人スタジオまで与えてもらえた。リサーチにも制作にも申し分無い環境だ。普段はビデオ制作が多いのだが今回は写真スタジオに入り写真現像の実験もできた。普段使わないメディアにリスク無く挑戦できるのも重要なポイントだと思う。図書館やネットワーク環境の充実は参考資料を探す上でとても良かった。
街歩き
レジデンスに行くと出来るだけ街を散歩するようにしている。多い時には1日10キロ以上歩く。繁華街を歩くのもいいのだが、住宅街を歩くのが面白い。住宅街は日本同様エリアによって様々な特長がある。工場街、高級住宅街、移民の多い街…。エリアによって家の造りや装飾が異なり、歩いているだけでそこに住む人々の生活が見てとれる。
今回は街歩きからある発見があった。メルボルンの住宅を囲う壁にはポツリと丸い穴が空いている。覗き穴にしては大きいし、何かなと思っていたら新聞を入れる穴だった。郵便ポストとは別に新聞用の穴があるのだ。現在では新聞は庭に投げ入れられたりするため実際にはあまり活用されていないそうだが、風習のようにどこの家にも(建設中の家にも)穴が存在していた。新聞という外界からの情報が届けられる通路であり、高い壁を持つ家では唯一外界から内部を見ることができるその穴を面白く思い散歩の際に写真で撮り集めた。
死のワークショップ
滞在中モナシュ大学の絵画科2〜3年生の学生を中心に11人の協力を得てワークショップを開催することができた。今回行った「死のワークショップ」は日本で構想を練ってきたもので、初のテストとなった。「自分の最後のシーン(死のシーン)を想像してもらい再現してもらう」というものだ。主旨を説明するミーティングを1回と、まる1日かけたワークショップを行った。ワークショップ当日はまず教室でグループに分かれブレインストーミングをし、発表へ向けての構想を練る。午後からスタジオへ移動しチームごと練習、撮影という流れだった。学生達は、とても積極的に取り組んでくれた。言葉、身体、空間、照明、などの要素を巧みに使用して、どのグループともとても面白い表現に展開していった。学生達は絵画科に在籍していたこともあってか、演技でリアルな再現をするのではなく抽象的なパフォーマンスに近い表現が多かった。この体験をもとにその後に日本で制作する「死のワークショップ」のコンセプトがクリアになっていった。
質問のワークショップ
Light projects(アーティスト・ラン・スペース)で「質問のワークショップ」を実施した。「質問のワークショップ」はあるエリアに住むあるコミュニティの人々に集まってもらい「5つの質問をしてください」というお題をだし、質問をする音声を集音するものである。取り集めた音声は、ミニFMラジオの電波に乗せてそのエリアへと放送する。その土地で起きている問題や日常気になっていることを質問する形式にかえて公共へ戻す試みのプロジェクトだ。今回はノースコートの商店街でこのプロジェクトを進めるために、テスト録音としてモナッシュ大学の教員と学生8名にワークショップを体験してもらった。今回の滞在中に実際のコミュニティの人々と関わるところまでは出来なかったのだが今後ワークショップを体験した生徒を中心にプロジェクトを進めてもらうことが決まった。
最後に
今回の滞在は私が今まで体験したレジデンスプログラムの中でも最も充実したものになったと言える。
- 大学滞在の利点をフル活用出来たこと→大学施設の利用 / 教員・学生との関わりにより新しいチャレンジや作品制作をたくさん出来た
- 多くの人々に出会い交流出来たこと→美術を取り巻く環境(主に教育、アーティスト事情)についての意見交換が出来た
- 展覧会が出来たこと→たくさんの人に作品を観てもらえたとともに、キュレーター、批評家、アーティストなどと作品についての深い話が出来た
上記が今回の滞在が充実していた理由だ。このようなアーティストレジデンスと大学の連携プログラムはとても珍しいものだが、滞在するアーティストにとって濃密な時間になるのはもちろんのこと、学校や学生にとっても世界各国からアーティストが来ることは良い刺激になることだろう。今後、このようなプログラムが日本でまた世界各国で増えていってくれたら嬉しく思う。
森 弘治
http://hiroharumori.weblogs.jp
1969年神奈川県生まれ。1994年多摩美術大学卒業後、渡米。2004年マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院修了。主な展覧会に、第3回恵比寿映像際、EACC「5x5Castelló10 International Contemporary Art Prize」(スペイン)、越後妻有アートトリエンナーレ2009、第52 回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際企画展、原美術館「アートスコープ2005/2006」、ジュ・ド・ポーム国立ギャラリー「The Burlesque Contemporains」(フランス)など国内外で作品を発表。最近の個展にモナッシュ大学美術・デザイン学部ギャラリー「Speech Rehearsals: Students, Housewives, Politicians」(メルボルン)、アートスペース「Hiroharu Mori is Detached from the Outside World」(シドニー)などがある。また、2009年にアーティスト主導による芸術支援システム「ARTISTS` GUILD」を設立。制作・展示現場における経済的支援を目的とし機材の共有システムを構築。現在は共同代表。