Welcome to the オーストラリア大使館のカルチャーセンター

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バイオメディア・アートの拠点「Symbiotic A」訪問記

早稲田大学理工学術院 生命科学・現代美術
岩崎秀雄

2010年7月

オーストラリアは、先端的な科学・技術を取り入れた現代的なアートの表現を模索するアーティストを数多く輩出している。特に、生命科学・バイオテクノロジーとアートの境界領域(バイオアート、バイオメディア・アート)におけるオーストラリアのプレゼンスは驚くほど高い。バイオメディア・アートの本場ではどのように制作や研究が進められているのだろう。

この度、その秘訣を垣間見るべく、オーストラリア大使館のご援助を得て、多摩美術大学の久保田晃弘教授(メディアアート)、早稲田大学の高橋透教授(哲学)および山口国際情報芸術センター(YCAM)の三原聡一郎氏(メディアアート)とともにオーストラリアに飛んだ(2010年4月21-29日)。大使館の担当者の徳さんや久保田さんが精力的な日程を組んでいただいたおかげで、息つく暇なく刺激的な機関を訪問させて貰ったが、ここでは特にバイオメディア・アートの世界的な研究・制作機関として知られる西オーストラリア大学SymbioticAでの体験を中心に報告したい。

申し遅れたが自己紹介をさせていただくと、僕は生物学の研究者で、早稲田大学で微生物を用いた研究に従事している。細胞がどのように様々な複雑な形を創っていくのか、どのように体内時計と言われる周期的な時間を刻むようになっていくのか、ということを、光合成を行う案外身近なバクテリア(シアノバクテリア)を材料に遺伝子レベルで解析している。と同時に、以前からバイオサイエンスとアートの境界線に興味があって、バイオメディア・アートの調査や制作にも携わっている(1,2)。

もともと美術に興味があって、切絵を主体とする作品を作っていることもあるし、「生命とは何か」という問や、それを支える社会的・思想的・文化的な基盤を、生物学だけではなく、アートを通じて考え直してみることも大事だし面白いと思っているからだ。さまざまな生物学的な知識や技術を使ったアートについて調べる中で、とりわけ強く惹かれたプロジェクトが、オーストラリアの先端的なアーティスト、オロン・カッツが細胞培養技術をアートに転用したバイオロジカル・アートだった。

細胞培養技術は、身体から細胞を採取し、試験管内で培養するテクノロジーで、基礎研究から医療まで、生命科学関連分野で広く使用されている。オロンはこの技術のアート・メディアとしての価値を見出し、パートナーのイオナ・ズールとともに1996年から組織培養アートの制作を模索してきた。2000年には西オーストラリア大学の細胞生物学者、神経科学者とともに、バイオロジカル・アートを専門に扱う研究・制作機関としてのSymbioticA(3)を学内の人類学・解剖学部に設置し、ディレクターに就任した。

以来、バイオメディアを用いたアーティストたちの多くがSymbioticAを訪れ、世界髄一のバイオアートの拠点としての名声を確立。COE (center of excellence)にも認定され、こうした功績により、アルスエレクトロニカのグランプリ(ゴールデン・ニカ)が授与されている。修士課程のみならず博士号も出せる組織となり、実際にイオナ・ズールが最近提出した学位論文は、西オーストラリア大学全学の最優秀博士論文に輝き、イオナは今年度から助教授を務めている。

さて、生命科学の近年の進歩は、様々な医療・農業などの改善が期待されるとともに、従来の生命観・価値観にも大きな変更をもたらす可能性が指摘されている。その成り行きを単純に称賛するでも悲観するでもなく、両義的で冷静な視線と真面目な態度で制作され、それでいて茶目っ気のあるユーモアも同居しているのがオロン・カッツ作品の特徴だ。たとえば、グアテマラの人形をかたどった生分解性プラスティックを、マウスやヒトからとった培養細胞と共培養することで細胞に覆われた皮膚を持つ「人形」となった"Semi-living Worry Doll"。

この作品は、同行した高橋さんによる記事にあるようにポエティックなパフォーミング・アートで、何より生命と非生命、人形とペットといった境界線をストレートに問いかける哲学的な作品だ。それに加えて、(常々言われるような)中身の方が外見より大事、という教訓の逆で、外側(皮膚)のほうがむしろホンモノ、という存在としても面白いと思う。

バイオメディア・アートの拠点SymbioticA訪問記
図1: "Victimless Leather" 制作中の
オロン・カッツ(左)と筆者
2009年11月早稲田大学にて

ということで、以前から大いに関心を持っていたのだが、昨年(2009年11月28日-2010年2月28日)森美術館で開催された「医学と芸術」展(4)の企画段階で、カッツの組織培養アートの展示が検討されていると伺い、制作・展示に必要な実験環境や材料を提供して彼の作品づくりをバックアップさせていただく機会を得た(写真1)。それが「生オロン・カッツ」との出会いであり、今回の調査旅行のきっかけの一つとなった。

そこでは、彼の代表作の一つ、"Victimless Leather"がとりあげられた。全身の構造に見たてられたフラスコやチューブやポンプのシステムの中に、ジャケットのような形の生分解性プラスティックが入り、展示が進むとそれが培養細胞に置換され、あたかも動物を殺さなくても革ジャケットが作られるようなイメージを誘発する。しかし、実際には培養に必要な培地の中には、仔牛から採取した血清が使われており、そう簡単にはことは運ばない(裏には裏がある)というアイロニカルな作品だ。

さて、前置きが随分長くなってしまって申し訳なかったが、SymbioticAは先述のように、西オーストラリア大学の医学系の人類学・解剖学部にある。呆れるほど風光明媚な土地柄で、歩いてすぐそばにインド洋の白砂豊かなビーチが広がる。初会合もまずは海辺のレストランのオープンテラスから。羨ましい一方、この環境でどうやったら学生の勉学意欲を維持させうるのか悩んでしまうほど。

SymbioticAのスペースは広い学部の建物の2階にあるが、その途中、おもちゃでごった返したような教授室の目の前を通る。廊下には解剖をテーマにした不思議なオブジェやアート作品が展示されていて、こういう人たちがいるからSymbioticAのような組織もできるのだな、と妙に納得。

SymbioticAのオフィススペースは、ちょっとした屋根裏部屋のような、ログハウスの中のような心地よい板敷・しっくい仕上げの空間。もともとは実験室にして欲しかったそうだが、予算の都合などでこうなったとのこと。オロンによると、ここを訪れるアーティスト達にとっては実験室の雰囲気に圧倒される前に親しみやすいオフィスに来るお陰でリラックスでき、結果的にはよかったとのこと。アルスエレクトロニカのトロフィーや過去の作品の模型、ポスターなどが貼ってあり、椅子や机が雑然と並んでいる。

そこで、6-7人の学生やレジデンス・アーティスト達が快活に議論をしている。とても国際的で年齢もさまざま。オーストラリア出身のアーティストや詩人もいれば、デンマークから来ている美学の博士課程の学生、インド出身のデザイナー、リトアニア出身の科学社会学専攻の院生、身体表現を追究する韓国系カナダ人アーティスト、そのほか美術史、生物学教育を専門にしている博士課程の院生や研究者などなど。それぞれ関心を持っていることや自分のプロジェクトを説明してもらったが、フェミニズム、先端医療の社会的位置づけ、再生医療・遺伝子工学の倫理的側面、環境問題など、科学と社会に関する話題が多かった。こうしたテーマは、科学社会学あるいはSTSと呼ばれる分野のテーマとかなりの部分共通している。

しかし、少なくとも日本や多くの国における科学社会学は、基本的に科学的研究を外の立場(たとえば社会学、倫理、哲学など)から観察し、分析し、場合によってはアクションを起こすことを基軸としているが、自ら実験に体験的に参加することは殆どないと思う。それに対し、ここのレジデンシーは相当高いレベルでの議論を重ねつつ、自ら隣接する実験室で生物学的な実験を体験し、多くはアートの制作に従事している。これはアートならではの大変総合的かつ実践的な、新たなタイプのSTS研究の在り方でもあると思う。海洋学者などの科学者も、僕達がオフィスに居る間にちょくちょく現れ、色々と面白い雑談をしては出ていく。うーん、この文化的風土は実に羨ましい!

バイオメディア・アートの拠点SymbioticA訪問記
写真2: SymbioticAの専用実験室で
説明をするオロン・カッツ

SymbioticAはオフィススペースと同じくらいの比較的小さな専用の実験室を持っている(写真2)。ここは、主にアーティスト達が試作をしてみたり、小規模な実験をしたりするためのスペースだ。これに加えて、レジデンシー達は同じフロアにある学部の実験室も使用することが出来る。こちらは実に広いスペースで、最先端の設備が並ぶ使いやすそうな実験環境だ。しかも日本とオーストラリアの人口密度を反映するかのように(?)ゆったりとした雰囲気で、これまた羨ましい限りの設備だった。

さて、SymbioticAでは毎週金曜日に定期的に外部もしくは内部のアーティストや関係者によるセミナーが行われている。なにしろ世界に冠たる組織だから、過去のセミナーリストを見ても興味津々の話題が多い。要するに、外から様々な人たちが立ち拠ることで、情報のセンターにもなる。これが一流機関の証である。で、僕達も4人で分担して日本におけるバイオメディア・アートの活動に関して講演をさせてもらった。随分宣伝をしてもらったこともあるだろうが、もともと日本のアートへの関心が予想以上に高かったようで、オフィススペースには立ち見が何人も出るほどのお客さんが集まった。

久保田さんは多摩美における国内初のバイオアートの講義やワークショップ、そこで生まれつつあるプロジェクトに紹介。メディアアートの未来型としてのバイオアートへの展開について、あるいは数年間にも関わらず既に多くの学生の作品が次々に出ていることに大きな関心が寄せられているようだった。僕の方からは、早稲田で試みている生物学研究室にアーティストを常駐して科学とアートの同時並行を展開するプログラムの紹介をした。こちらは、たとえば近年台頭しつつある合成生物学とバイオアートの関連性などについて興味を持ってもらえたようだし、科学とアートをどう両立すべきか、複数の参加者から色々感想を頂いた。

高橋さんは、哲学の立場から、合成生物学のような生命を構成するあるいは再生する技術やサイボーグ技術が進展していった場合、人間観・生命観がどのように変質しうるか、それに対してどう対応するべきかといった問題を提起し、こちらも大きな関心を呼んでいた。三原さんは、メディアアーティストの立場から、バイオ・生物をどのように今後取り扱う可能性があるのか、についてプレゼンがあり、過去の作品について盛んな質疑応答が続いた。押し並べて日本でのバイオアートの受容や、あるいは日本におけるアートの位置づけについての欧米との相違などに関心が強かったようだ。そのあとは大勢の関係者とともにバーに繰り出し、夜更けまで延々熱心な議論が続く熱い夜になった。

さて、オロンは組織培養工学をベースとするアーティストだが、SymbioticAでは前述のように遺伝子レベルの分子生物学の知見を巡るアートや、もっとマクロな生態学的なアートプロジェクトも展開している。後者の一つが"Adaptation"(適応)プロジェクトだ(5)。西オーストラリアの湖沼には、上記のシアノバクテリアの仲間が光合成をしながら周囲のミネラル分を析出させ、数千年をかけてストロマトライトと呼ばれる不思議な岩石彫刻群のような景観が創りだされている。オロンは数人のアーティスト、科学者たちとこのストロマトライトを巡るアートプロジェクトを構想している。僕は、曲がりなりにもシアノバクテリア研究者の端くれなので、この機会を逃す手はないと、オロンにストロマトライト(トロンボライト)の一大展開地、クリフトン湖に連れて行ってもらった。そこには、無数の円筒状のストロマトライトが見渡す限りに展開する圧倒的な光景が広がっていた(写真3)。

実は、ストロマトライトがどのように出来上がってくるのか、についてはまだ謎が多い。不思議なことに世界でも有数のストロマトライト産出国であるオーストラリアよりも、アメリカの研究層のほうが厚い(オーストラリアはもっと魅力的な、たとえば恐竜の化石や卵などの研究対象に事欠かないからだろうか…)。僕も事前に随分ストロマトライトに関する文献を読んでにわか勉強をしていったのだが、やはり百聞は一見にしかず。生物学的にも大いに刺激を受けた。オロンとは、こういったストロマトライト的な、非常にゆっくりと生長する造形を一緒に作れないか、という話もしたりした。

アーティストが自然や生物に接することの一つの意義は、アートのネタを求めること以上に、そもそも制作や造形とは何かを問い直さずにはいられなくなる点だろう。孤立された自然に満ち、大陸全体が自然園のようなオーストラリアにおいて、独特な自然観・生命観が育まれ、さらに移民の歴史と欧米から物理的に隔離された特殊な地理的条件で独自の芸術観・文化が醸成されることは自然の成り行きなのかもしれない。

湖の近くには、100年前に放擲されたセメント工場の廃墟と浜辺の石灰質が驚くほど自然に融合した、これまだ鮮やかなランドスケープアートが殆どまったく人の目に触れることなく、静かに時間をため込んでいた(写真4)。

バイオメディア・アートの拠点SymbioticA訪問記
写真3: クリフトン湖のストロマトライト
(トロンボライト)
バイオメディア・アートの拠点SymbioticA訪問記
写真4: クリフトン湖近郊の工場跡地と
湖岸の見事なコラボレーション

さて、オロンとは今後も様々な形で共同研究・共同プロジェクトをやっていく予定だ。まず、オーストラリアで主に話し合ったのは、2013年に地元パースで開催予定の学際的な大がかりな国際会議についてだった。ぜひ僕らとしても前向きに参加を検討して、一緒にセッションを持とうということになった。それ以前に二つ大きなプロジェクトが目前に迫っている。今年は科学技術社会論の国際会議(4S)が8月下旬に東京で開催され、久保田さんや東大の渡部さんのリードでバイオメディアアートのセッションが8月27日に開催されることになっている。そこにオロン・カッツも登壇してもらうことになっているのだ(6)。さらに、アメリカとイギリスの科学振興財団による合同プロジェクトとして、合成生物学とアート・デザインの境界領域を助成する"Synthetic Aesthetics"が今年(2010年)行われることになった。

これは、アーティスト6名、科学者6名がそれぞれ公募によって選ばれ、ペアを作って二週間ずつ双方の機関を訪れて議論・制作を行う、という画期的なプロジェクトだ(7)。これにオロンと僕が共同申請して幸い採択されたので、8月下旬から9月上旬にオロンが早稲田に、11月下旬から12月上旬に僕がSymbioticAに滞在してプロジェクトを推進することになっている。よりによって共に猛暑シーズンなのが不安だが、今からとても楽しみにしている。

今回はオロン・カッツを中心とするSymbioticAに焦点を当てて書いたが、道中様々な最先端テクノロジーを駆使した芸術表現を探究する機関や展示がオーストラリア各地で展開されていることに改めて大きな感銘を受けた。日本では、文化としての科学、あるいは科学とアートの関係性に関してまだまだ成熟した環境が整っているとは言えない側面が多い。しかし、オーストラリアに拠点を置くパトリシア・ピッチニーニの彫刻作品、ステラークのサイボーグ・アートの映像、そしてオロン・カッツの"Victimless Leather"が勢ぞろいした昨年末から年始にかけての先述の「医学と芸術」展は非常に多くの観衆を集め、久保田さんが音頭をとった多摩美大でのオロン・カッツとステラークの講演会は満員の聴衆を集めて熱気ムンムンだった。

このように、国内でもバイオメディアアートへの関心は、草の根的には着実に高まっている。日本で先端的なテクノロジーアートをどのように位置づけていくのかという課題は、科学・技術を社会の中でどのように位置づけていくのかということにも関連している。オーストラリアの先端アーティストたちと、それをとりまく環境から僕達が学ぶことはまだまだ多そうだ。


参考: