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オーストラリア演劇のいま

佐和田敬司(早稲田大学教授)

オーストラリア演劇のいま
夜のシドニー・オペラ・ハウス
"Courtesy of Sydney Opera House Trust"

オーストラリア演劇のいま
The Wharf, Sydney Theatre Company

日本からオーストラリアに観光に行く人にとって、シドニー・オペラハウスへの訪問は欠かせない。しかし、この世界遺産にも登録された世界的建造物が「劇場」である、またオペラや音楽だけでなく、「演劇」の重要な拠点であることを意識せずに、外側だけを見て終わりにしてしまうのは実に勿体ない。

オーストラリアの演劇は近年日本でも注目を浴びつつある。その魅力は、社会が直面している問題に正面から切り込む姿勢、先住民演劇やマイノリティ演劇などの豊かさ、充実した演劇教育に裏打ちされた質の高さ、などにある。また、日本との演劇交流も盛んに行われている。

活躍中の劇団

現代オーストラリア演劇の原型は60年代末から70年代にかけての小劇場運動に遡る。政治の季節を背景に、リアリズムへの反抗、文化ナショナリズムなど、日本のアングラ演劇と同じような軌跡を辿った運動は、今日オーストラリア人劇作家の飛躍的増大をもたらし、またそのエッセンスは、現在のオーストラリア演劇を牽引するシドニーのカンパニーBグリフィン・シアターカンパニー、メルボルンのプレイボックス(現モルトハウス)などの劇団に受け継がれた。

オーストラリア演劇のいま
Cate Blanchett & Andrew Upton
Photo by Brett Boardman

各州にはいわゆるステイト・カンパニーが存在し、シドニー・シアターカンパニーメルボルン・シアターカンパニー、ブリズベンのクイーンズランド・シアターカンパニー、アデレードのサウス・オーストラリア・ステイトカンパニー、パースのブラック・スワンなどがある。シドニー・シアター・カンパニーでは、世界的スターとなったケイト・ブランシェットを芸術監督(アンドリュー・アプトンと共同監督)に迎え、より洗練された芝居で裕福な層の観客の獲得をめざしている。

また、個性的な小劇場も元気で、平田オリザばりの「静かな演劇」『ホリデー』で名を馳せたランターズ・シアター、演出家クリス・コーンと劇作家ラリー・カッツの作品が注目のアリーナ・シアター、俳優ジェレミー・シムズが率いるポークチョップ・プロダクションズ などが注目株である。


人気の劇作家たち

人気劇作家の双璧は、デヴィッド・ウィリアムソンとジョアンナ・マレースミスである。ウィリアムソンは60・70年代小劇場運動出身でトップ劇作家の地位を維持してきた。代表作は、得意とする風習喜劇の到達点とも言うべき、大学でのシェイクスピアに対するジェンダー/ポストコロニアル批判の狂騒を風刺した『デッド・ホワイト・メイルズ』。マレースミスは、普遍的な中流インテリ階層の悩み、ポスト「ウーマンリブ」世代の女性たちの活写を得意とし、代表作『オナー』は世界中で上演されており、日本では演劇集団円文学座という日本を代表する新劇劇団で上演された。二人に続くのがルイ・ナウラで、80年代から数多くの作品を提供してきた。90年代以降の代表作には、精神病院の患者たちがオペラを上演するまでを描いた喜劇『コシ』がある。また、国内のみならず特にヨーロッパで高い評価を得ている作家にダニエル・キーンがおり、国籍を特定しない普遍性の中に、人生の悲哀を淡々としたタッチで描く作品が多い。

オーストラリア演劇の面白さは、上記のような普遍的なテーマを持ったものだけでなく、現代オーストラリア演劇の起源である70年代の政治性を継承し、ポスト9/11、難民と不法入国者、先住権と白人の利害の衝突、都市と地方の格差などの問題に挑む作品群にある。キャサリン・トムソン、ハニー・レイソン、レグ・クリッブ、スティーヴン・スウェル、アンドリュー・ボヴェルなどの劇作家の作品は、政治的なテーマへの先鋭的な関心を示し続けている。また、トミー・マーフィー、ロス・ミューラー、トム・ホロウェイ、ベン・エリス、マット・キャメロンなど、新たな世代の劇作家たちが、それぞれ個性的な劇的世界を展開している。

オーストラリア演劇のいま
Louis Nowra
オーストラリア演劇のいま
Katherine Thomson
オーストラリア演劇のいま
Hannie Rayson

オーストラリア演劇のいま
Stephen Sewell
オーストラリア演劇のいま
Tom Holloway
オーストラリア演劇のいま
Matt Cameron

代表的な演出家と舞台

代表的な演出家には、カンパニーBの芸術監督を務めるニール・アームフィールド、若干29歳でアデレード芸術祭の芸術監督を務めた鬼才バリー・コスキー、かつて劇団プレイボックスを率い日本の内村直也賞も受賞したオーブリー・メラー、モルトハウス・シアターの芸術監督であるマイケル・カントー、グリフィン・シアターカンパニーの前芸術監督であったデヴィッド・バートルド、1960年代から演劇界に多大の貢献をしてきたジム・シャーマンなどが含まれる。

ニール・アームフィールド演出の最も評価の高い舞台には、まず、『クラウド・ストリート』(1999年)が挙げられる。ティム・ウィントンの小説の舞台化で、労働者階級の二つの家族が、四半世紀、個性溢れる二家族の、生活や人生との格闘の歴史がその家で紡ぎ出されていく物語だ。もう一つは、ノーベル文学賞作家パトリック・ホワイト作『禿げ山の一夜』。1996年、初演から34年ぶりにニール・アームフィールドの演出で再演した。山に住む登場人物たちが激しい憎悪と愛欲をぶつけ合い、やがて破滅していく。緻密で緊張感溢れた演出は「ここ10年で最も優れた舞台」との評価を受けた。

2006年のバリー・コスキーの演出と共作による『ロスト・エコー』は、シドニー・シアターで、2日にわけて、全8時間に及ぶ上演がなされた。古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』の中から選んだ物語を翻案し、豊かな想像力とコスキーらしいお下劣さをふんだんに盛り込んだ壮大な舞台となった。

また、台詞劇ではなくアクロバティックな身体表現を旨とする演出家としてナイジェル・ジェイミソンがおり、アフガン戦争とグアンタナモ収容所の現実をテーマにした『オナーバウンド』で多くの賞を得、また最近ではオーストラリアの建国神話である第一次世界大戦のアンザックをテーマにした『ガリポリ』で壮大なスペクタクルを見せた。

オーストラリア演劇のいま
The Arts Centre, Melbourne, Victoria

先住民と移民の演劇

そして、オーストラリア演劇のユニークさを支えるのが先住民演劇だ。1970年代初頭にケヴィン・ギルバートというアボリジニ権利活動家によって開始された先住民演劇は、80年代に劇作家ジャック・デーヴィスの活躍を経て、90年代以降、数多くの劇作家を輩出し、さらに演出家・劇作家ウェズリー・イノックという先住民演劇の旗手の登場があった。今日、オーストラリアにはビクトリア州のイルビジェリ、クイーンズランド州のクーエンバ・ジャダラ、西オーストラリア州のイラ・ヤーキンという三つの先住民プロフェッショナル劇団が存在している。

先住民演劇の代表作には、同化政策による「盗まれた世代」の悲劇を扱ったジェーン・ハリソン作『ストールン』がある。また、ウェズリー・イノックとデボラ・メイルマン共作による『嘆きの七段階』、ニンガリ・ローフォード作『ニンガリ』などに代表されるアボリジニ女性の一人芝居もある。さらに、アボリジニの初のミュージカル、ジミー・チャイ作『ブラン・ニュー・デイ』なども、ここ20年の代表作に含まれる。

また、多文化社会を象徴する演劇もある。中国系でゲイであることを軸に、身近な物語をスライドと共に一人語りするウィリアム・ヤン。イタリア系劇団ドピオ・テアトル(現パラエロ)。また地中海系移民に対する蔑称である「ウォグ」を逆手に取り、ギリシャ系の移民のアイデンティティを謳い上げたニック・ジアノポロスがあり、彼の舞台のエッセンスは『ザ・ウォグボーイ』という映画にもなった。

質の高い俳優たちと教育

質の高い俳優たちも、オーストラリア演劇の魅力の一つだ。オーストラリアのハイレベルな俳優養成教育は、舞台に優れた俳優たちを供給している。1958年シドニーに創設された名門NIDA(国立演劇学校)出身ハリウッド俳優たちの中で、ケイト・ブランシェット、リチャード・ロクスバーグ、ヒューゴ・ウィーヴィングなどは今もオーストラリアの舞台に立ち続けている。演劇学校出身ではないがハリウッドの名脇役ジェフリー・ラッシュも、シドニーのカンパニーBで長く活躍した舞台俳優である。

また、パースにあるWAAPA(ウェスタンオーストラリア舞台芸術学院)もNIDAと双璧となる名門校であり、映画『オーストラリア』のドローヴァー役や、オーストラリア発のブロードウェー・ミュージカル『ボーイ・フロム・オズ』の主演を務めた人気俳優ヒュー・ジャックマンを輩出している。

オーストラリア演劇のいま
National Institute of Dramatic Art Building
© NIDA 2009

劇場

代表的な劇場は、シドニーなら、誰もが知っているシドニー・オペラハウスだ。オペラ劇場とコンサートホール以外にも演劇用の二つの劇場と一つのスタジオを有しており、演劇やパフォーマンスに空間を提供している。メルボルンで、シドニー・オペラハウスに匹敵するのが、ヤラ川沿いに聳えるビクトリアン・アーツ・センターで、やはり演劇用に二つの劇場を擁している。もちろん両都市にはオルタナティブ演劇を支える小劇場がいくつも存在しており、また各州にも例えばアデレードのフェスティバル・センターやブリズベンのクイーンズランド・パフォーミングアーツ・センターなど大規模な劇場がある。さらに近年シドニー、メルボルンでは劇場の充実が図られており、シドニー・シアターや、メルボルン・シアターカンパニーの拠点となるサムナー劇場が開場した。特にメルボルンでは、モルトハウスビクトリアン・アーツ・センターVCA(ビクトリアン・カレッジ・オブ・ジ・アーツ)と共に、パフォーミングアーツ街区が形成されている。また、60年代末のオーストラリア演劇ルネッサンスの舞台となったメルボルンの小劇場ラ・ママは、オーストラリア演劇史の証人的存在として、今日も実験的な芝居が上演され続けている。

オーストラリア演劇のいま
Wesley Enoch

フェスティバルと日豪交流

オーストラリアは、数多くの芸術祭の存在で知られる。各州にはそれぞれ芸術祭があるが、最も権威があるのはアデレード芸術祭だ。2004年には、初めて先住民の芸術監督としてスティーヴン・ペイジが起用された。アデレードはまた、世界に進出する日本現代演劇のショーケースの役割も果たしてきた。転形劇場、岸田事務所+楽天団、トモエ静嶺と白桃房、維新派などがこれまでにアデレード芸術祭に参加した。

演劇の日豪交流では、記念碑的な上演として、日豪の戦争の記憶を扱ったジョン・ロメリル作『フローティング・ワールド』がある。1995年の戦後50周年に、佐藤信演出で、東京とメルボルンの両国際芸術祭で上演された。また、楽天団が連続してオーストラリア戯曲、ことに先住民戯曲の翻訳上演に取り組んでいる。2002年の東京国際芸術祭では、『ストールン』が、アボリジニのオリジナル・プロダクションと楽天団によって競演された。また2006年の日豪交流年には、フェスティバル「ドラマチック・オーストラリア」が開催され、流山児★事務所によるレグ・クリッブ『リターン 』上演や、ウェズリー・イノック演出による楽天団の『クッキーズ・テーブル』世界初演などで、数多くのオーストラリア戯曲が日本に紹介された。

日豪演劇交流については、拙著『現代演劇と文化の混淆―オーストラリア先住民演劇と日本の翻訳劇との出会い』(早稲田大学出版部)を参照されたい。また、オーストラリアの戯曲は、「オーストラリア演劇叢書」(オセアニア出版社)が11巻まで刊行中である。