新たな伝統を生み出しつづける「オーストラリア・バレエ団」
岩城京子(ジャーナリスト)
オーストラリアにバレエという言葉は、赤土に胡蝶蘭をいけるようで、あまり似つかわしくなく思えるかもしれない。ロシアやフランスならいざ知らず、南半球最果ての国、ウォンバットやカンガルーが駆けまわる国で、いったい一流の舞台芸術にお目にかかることができるのか――。人がこんな疑問を持つのはもっともだ。だが未だ半世紀にもみたぬ浅い歴史のうえに立つオーストラリア・バレエ団は、こうした世間の懐疑的な視線を実にすがすがしく払拭してみせる。昨シーズン中にはパリのシャトレ座とロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場という欧州の名門ダンス劇場へのツアーを敢行。「オーストラリアのバレエ団?」という玄人筋の疑念を見事に覆してみせ、英国ザ・ガーディアン誌のレビューでも四ツ星を獲得した。
創立は1962年。第二次大戦直前にロシアのバレエリュスの流れを引く舞踊手エドゥアール・ボロヴァンスキーが豪州で立ちあげた「ボロヴァンスキー・バレエ」の人的資産を引き継ぐかたちで始まった。現在ではパリやロンドンのみならず、ニューヨーク、モスクワ、アテネ、プラハ、シンガポール、東京、台湾、上海といった国際都市で公演を行う世界有数のカンパニーに。また国内ではメルボルンの州立劇場とシドニーのオペラハウスを二大拠点に、アデレイド、ブリスベン、パースなどの都市を多忙に飛びまわる。01年に弱冠37歳の若さで芸術監督職に就任したデヴィッド・マッカリスターの証言によると、今では年間公演数が180回を下回ることはない。しかも劇場客席は世界不況などどこふく風と、ほぼ満員御礼。広報担当者によると、本年度の公演は現在のところすべて黒字決算で進んでいるという。
世界のバレエ地図に視線を投げれば、堂々348年の歴史を誇るパリ・オペラ座バレエ団、236年の厚みを構えるボリショイ・バレエ団と、幾世紀もの歴史を重ねてきたカンパニーがいまでも先頭を走る。そんななか新参者のオーストラリア・バレエ団は、なぜ独自の成功をおさめることができたのか。彼らのカンパニーとしての強みは何なのか。ひとつには後発集団であったからこその利点、つまり出遅れたからこそ情報を取捨選択して取り入れていくことのできた芸術的素地の「ハイブリット性」にある。芸術監督マッカリスターは、取材で次のように語った。
「カンパニーの創始者であるペギー・ヴァン・プラーグは、ボロヴァンスキー・バレエの出身者でロシアバレエの流れを汲む人間。それと同時にバレエ・ランベールやアンソニー・チューダーのロンドンバレエの影響下にもあり、我々は彼女から英国バレエの資産を受け取ることができました。76年から芸術監督であったアン・ウーリアムスはドイツバレエの影響の大きかった女性。彼女から我々はジョン・クランコの作品群を授かりました。また83年から指揮を執ったメイナ・ギールグッドはベジャール・バレエでも活躍したことのある異彩。そこからもまた我々は異なるレパートリーを抱えることができました。つまりオーストラリアという芸術の中心地から遠く離れた場所で、後発でカンパニーをはじめたからこそ、我々は折衷的にさまざまな文化を吸収していくことができたのです。いまでは観客はオーストラリアにいながらにして、世界屈指の振付家の作品をほぼすべて目にすることができます」
この言葉どおり、今シーズンの演目も実に視野が広く多彩。年間ラインナップは全6演目。バレエリュス作品『ペトルーシュカ』『ラ・シルフィード』『火の鳥』 (新振付版)にはじまり、来日が予定されるグレアム・マーフィーの『くるみ割り人形』、若手振付家発掘のショーケース『ボディートーク2.2』、セルジュ・リファールとスタントン・ウェルチという新旧の才能によるダブルビル『パリ・マッチ』、いま最も勢いにのる二人の振付家ウェイン・マクレガーとアレクセイ・ラトマンスキーが競う『コンコルド』、そして人気演目として再演が繰り返されるスタントン・ウェルチ版『眠れる森の美女』。
振付家の生年には100年の開きがあり、国籍もロシア、イギリス、自国オーストラリアなど実に様々。「ヨーロッパ諸国のように歴史に縛られていないぶん、新しいことに挑んでいくことができる」というマッカリスターの言葉も納得の高品質なハイブリット性。これは確かに、特異な強みだといえる。
さらにこのカンパニーで特徴的なのは、年間演目数の"少なさ"。ニューヨーク・シティ・バレエが年間約70作品ものレパートリーを披露するのは端的に多いにせよ、14演目のパリ・オペラ座バレエ団、12演目のロイヤル・バレエ団、と大概のカンパニーはここの倍ほどの演目を披露する。『くるみ割り人形』を年間20回も上演していては観客も見飽きてしまうのではないか、とこちらは勘ぐってしまうが、集客的に問題点は見あたらない。これに関してもマッカリスターは明快な答えを示してくれた。
「我々のカンパニーは67年から、サブスクリプション・シリーズという年間契約者の申し込みをはじめました。以後、これらの契約者は増え続け、現在ではシドニーとメルボルンで各3万人ずつほどの固定客が存在します。オペラハウスの客席数が約1500席ですから、簡単な計算をすればお分かりのとおり、『くるみ割り人形』を20回上演しないとすべての契約者を受け入れることができない。また同じ演目を複数回上演することで、若手の将来有望な人材にも大役のチャンスを与えることができます。私自身ダンサー時代、入団2年目にして『コッペリア』のフランツ役を土曜のマチネ公演に任されました。つまりこうしたレパートリー制を取ることで、良い人材を10年も群舞でくすぶらせることなく、早いうちから機会を与え育てていくことが可能なのです」
こうしたカンパニー方針に満足してか、オーストラリア・バレエ団のダンサーたちは、幼少のバレエ学校時代から数十年の時を経て退団するまで、ずっとこの組織に居続けるものが多い。それこそ来年日本で上演される『くるみ割り人形』では、その例が端的に見てとれる。ここではクララという女性の生涯が踊りつむがれることになるのだが、そのクララの肖像を3世代の女性ダンサーたちが――60〜70代のシニアダンサー、20〜30代のプリンシパルダンサー、そして10代のバレエ学校生徒がリレー方式に描写していく。大家族的な層の厚さを誇るカンパニーでなければ、定期上演することが不可能な演目だ。
とはいえ、十年一日がごとく同じ場所にいつづける人間のつねである、横着で退嬰的な空気はここにはない。進取の気性にとむバレエ団関係者の口からは、振付家グレアム・マーフィーがかつて率いたシドニー・ダンス・カンパニーや、ゲイリー・スチュアートのオーストラリアン・ダンス・シアターの演目について、またさらに若い前衛的なコンテンポラリー・カンパニーであるチャンキー・ムーヴなどの名も飛び出す。彼らがいかに、ただ歴史を固守するだけのバレエ団のスタンスとは異なるかが、こうした日常会話からも伺える。
「守るべき歴史ではなく、作り上げる歴史。我々はバレエという名のタペストリーを織り上げている人間のひとり」
マッカリスターのこの言葉どおり、オーストラリア・バレエ団は、今日も明日も、たゆまず歩を進める。そして進化の名のもとに新たな伝統を生み出しつづけていく。
- オーストラリア・バレエ団の歴史についてもっと知りたい方はこちら(英語)
- 今シーズンのオーストラリア・バレエ団についてはこちら(英語)
- 第12回世界バレエフェスティバル2009でのオーストラリア・バレエ団についてはこちら。
- 岩城京子さんのウェブマガジンTheatre Travelogue "ARTicle"
- 佐藤友紀さんのオーストラリア通信「感動! のくるみ割り人形 オーストラリアバレエ団」もご覧下さい。