クイーンズランド州立美術館と「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」の文化交通 - Visiting Curatorとしての経験
クイーンズランド州立美術館 / ギャラリー・オブ・モダン・アート
客員キュレーター 飯田志保子
2011年5月
ブリスベンの現代アートシーンとQAG/GoMA
2009年9月にブリスベンに来てから早くも1年半。ここでの生活も残すところ3ヶ月を切りました。東京で11年間キュレーター業に勤しんだ後*1、私は現在、文化庁の「新進芸術家海外研修制度」*2という2年間の奨学金プログラムを得て、2009年10月からブリスベンにあるクイーンズランド州立美術館(Queensland Art Gallery, Gallery of Modern Art:以下QAG/GoMAあるいはギャラリーと表記)に客員キュレーターとして在籍しています。
この1年半のこちらの現代アートシーンを振り返ると、着任直後の2009年12月から翌年4月まで開催されたQAG/GoMA主催の「第6回アジア・パシフィック・トリエンナーレ」(The 6th Asia Pacific Triennial of Contemporary Art。以下APT)*3、昨年のアデレード・フェスティバル、初代森美術館館長デヴィッド・エリオットがディレクターを務めた第17回シドニー・ビエンナーレなど、いくつか大きなイベントがありました。
ブリスベンの地元では、大学付属美術館の拡充に加え、30代の若い世代が中心となって2007年頃から新興してきたオルタナティブ・スペースやアーティスト・ラン・スペースが少しずつその数を増やす傍ら*4、アート・ビジネスとしては、世界的なマーケットに参入できるレベルのコマーシャル・ギャラリー*5が数えるほどしかなく、依然として香港やシンガポール以前に、シドニーや東京に比べても商業的なインフラの脆弱さが目立ちます。
そういった状況のなか、QAG/GoMAはオーストラリア国内外の現代アートを中心とした14,000点に及ぶ質の高いコレクションと、それらの収蔵品を基にした大小さまざまな規模の企画展、そしてチルドレンズ・アートセンターが主催する教育普及事業によって、ブリスベンに留まらず、現在オーストラリアで最も勢いがある現代アートの収集機関の1つとしてその存在感を大きくしています。
特に1993年から3年ごとに開催されてきたギャラリーの中核事業のAPTは、現代アートがまだ欧米中心で、アジアの現代美術といえば今ひとつ地味な印象で国際的にもあまり注目されていなかった90年代初頭から、アジア・パシフィック域内の現代アートの言説化を継続してきました。その地道な活動が功を奏し、APTはこの20年間で回を重ねるごとに地元の観客を着実に啓蒙し、ブリスベンの発展に伴い、来館者数の増加のみならず学術的にも教育機関としても、国内外に館の認知度を高めてきました。*6そして2006年の第5回APTの際に竣工した新館Gallery of Modern Artのオープンをもって、QAG/GoMAは質実ともに世界の大型美術館と肩を並べる存在になったことを決定づけました。
事実、アジア域内外の現代アートに従事するキュレーターとして、私もAPTの存在感に引かれてブリスベンに移るにまで至った一人。APTを実現してきたギャラリーの制度的な機構は?日本の美術機関に欠けている事業「継続」の秘訣は?アジア域内外の文化交通を考えるうえで、APTはどのような文脈を築いてきたのか?APTに関するこの3つの調査が主な動機ですが、リサーチャーとして短期訪問するだけでは、APTが作られる肝心の立ち上げ段階も、組織構造もなかなか見えるものではありません。海外の大きな美術機関で仕事をする経験をとおして、これまでの経験とは違った角度から私自身の適性組織規模を考えてみたかったこともあり、ならばある程度まとまった期間実務の実践を、ということで持参金つきで受け入れてもらった訳です。
そこで、前置きが長くなりましたが、今回この記事ではオーストラリアやブリスベンの現代アートシーンを概観するより、QAG/GoMAでのVisiting Curatorという立場と、APTの注目すべき点についてレポートします。
Visiting Curatorの位置づけと業務
まず、そもそも「Visiting Curator」とは?便宜上、日本語では「客員キュレーター」としていますが、単語上Visitingは「訪問」ですし、日本ではあまり聞きなれない肩書きかもしれません。
私が直接所属しているのは、ACAPA: Australian Centre of Asia Pacific Artという、ギャラリーのアジア&パシフィック・セクション内のリサーチ・アームです。ACAPAは地元のグリフィス大学と連携して国内外のキュレーターやリサーチャーや学者を招いてレクチャーを開催する活動も行っているので、そういった来館者の受け入れ先としても機能しています。キュレーターの場合、多くは1-2週間の滞在で、その間オーストラリア国内数都市を回ってレクチャーやトークなどを行ったり、地元の美術関係者やアーティストと面会して現地調査を行ったりします。インドのランジット・ホスコテ氏(Ranjit Hoskote)や日本の住友文彦さんも、昨年ACAPAで招聘したVisiting Curatorです。
ただ私の場合は、Visitingと呼称するには例外的に長期なので、2年の滞在というと大抵驚かれます。また、他の職員と同様、月-金出勤してアジア&パシフィック・セクション内の一員として通常の学芸業務に従事しているので、完全な「お客さん」扱いとも少し異なると思います。たとえばハード面では、ギャラリー仕様にカスタマイズされた各種ソフトウェアやデータベースがインストールされた職員共通のPCの供給から、電話、名刺といったデスク周りの環境整備、その他付帯施設の利用、ソフト面では、全職員が得るのと同じ業務情報の共有から、ライブラリーのオンライン・リサーチ、コレクション・データベース、収集戦略・運営方針等に関する内部資料へのアクセス権など、学芸業務に必要な権限に関しては他のキュレーターとほぼ同等の手厚い待遇をしてもらっています。
とはいえ、厳密にはギャラリーから給料を支払われている正規雇用職員でもなければゲスト・キュレーターのように特定の企画展に従事する立場でもないので、適切な肩書きとしてはやはりVisiting Curatorとなるわけです。実際、日々従事している業務も出席する打ち合わせも、基本的には私の研究対象のAPT関連と、コレクションならびに組織構造を学べるものを選び、能力と適性を鑑みながら徐々に関わる幅を広げてくれていますし、どの組織にもある内外の政治とも無縁の治外法権のような立場にいます。その点ではゲストとして大事にされていることを感じます。もちろん、日本に関することは現代アートに限らず何でも、浮世絵の場面解説や明治期の写真の裏書翻訳といった業務関連から個人的な日本旅行の相談に至るまで、ありとあらゆる問い合わせが頻繁に回ってきます。
このように、従事する先はクイーンズランド州の公立館で財源は日本という、制度的にも立場的にも、まさに日豪のあいだに身を置いています。前例がなく制度化されていないグレー・ソーンだからこそ、互いに手探りで開拓しながら、知識と経験の相互交換を実践しています。
さて、では日々ギャラリーで何をしているか、APTに関する業務の具体例をいくつか挙げます。
APT6では、オープン2ヶ月前に着任したこともあり、数名の参加アーティストの現地制作の最終段階ならびに展示立会い、インタビュー収録と編集、オープン前後の日本人関係者の対応、会期中の教育普及事業のサポートに携わりました。思い返すと恥ずかしくなるような反省点だらけですが、それらを通して、シネマ・プログラムも合わせると展示作品166点、25カ国から100名を越えるアーティストとフィルム・メーカーが参加した事業規模を、身をもって経験することができました。なお、それを支える運営体制は、直前の短期雇用スタッフも含めると総勢300名近いスタッフに上りますが、欧米型の大型美術館と同様、職種によって部門と課が専門的に細分化されているので、学芸部門だけだと全課あわせて20名ほど。うち、アジア&パシフィック・セクションは5名。決して多くありません。
APT6閉幕後の昨年4月以降、現在は2012年12月からはじまる次回APT7に向けて、アジア・パシフィック・セクションの同僚たちと共に、APT6の事業評価、APT7の方向性を検討するための企画たたき台、候補作家に関する情報収集、収集が望まれる作家・作品、ディレクターへのそうした各種プレゼン資料の作成などに携わっています。テーマありきではなく、こうした過程のなかからテーマが徐々に浮かび上がってくるのも、APTに特徴的なキュレーションのあり方でしょう。
コレクションありきのAPT
APTに関する業務でもうひとつ大きな割合を占めるのは、コレクション関係です。厳密な書式に基づいた理事会用の収集提案書類の作成やコレクションの展示替え、そして日本の現代美術に関しては、既存のコレクションを鑑みて増強が望まれる領域、作家、作品の提案、それらをもとにした展覧会の文脈作りに関する提案を行っています。
これらの業務がAPTと関係しているのは、APTが現代アートの最先端を追うことを目的としているのではなく、むしろオーストラリアという国のアイデンティティを、コレクションという文化財の塊によって築くことを前提としているからです。現代アートに焦点を当てながら展覧会の文脈を作ることで、現在の社会状況を導き出した各地域の歴史を顧みると同時に、現在起こっている出来事をアーカイブしていくこともできます。その点でAPTはきわめてオーソドックスで重要な美術館機能の一端を担っているといえます。特にGoMA開館以降は、スペースが物理的に倍になったため、アジア・パシフィック域内のアートの現状調査に重点を置いていた初期のAPTに比べ、コレクション増強の側面が強くなってきています。
また、「APTは誰が企画しているのか」という質問もよく聞かれます。APTは州や県や市町村といった行政が運営組織を立ち上げて毎回アーティスティック・ディレクターを指名する制度ではなく、QAG/GoMAが館の主催事業として運営しているトリエンナーレです。そのため、アジア・パシフィック・セクションが中心となって、オーストラリア・アート(先住民アートを含む)やインターナショナル・アート(アジア・パシフィック以外の地域)やシネマ(映像作品と上映プログラム企画)といった学芸内の他のセクションの協力も仰ぎながら各種の提案を行い、最終的にはディレクター決裁、そして州の了承を得て物事が決まります。事業規模の違いはあれども、そのプロセスは日本の公立館が主催する展覧会に近いと思います。
APTと文化交通
先住民、イギリスを始めとする西欧からの入植者、そして1850年代のゴールドラッシュ以降、時代を経るごとに増えてきたアジアや東欧諸国からの移民で構成されている多文化主義国家のオーストラリア。
たとえばオーストラリアSBS放送の天気予報は、オーストラリア大陸に始まり、次に東のお隣ニュージーランド、そこから少し北に上がってサモア、タヒチ、フィジーやヴァヌアトゥといったパシフィック諸国へ、そして東南アジア諸国、次に日本、韓国、中国といった東北アジアを映します。それから西へ移ってインド、中央アジアを通ってトルコなどの中東へ。さらにアフリカ大陸、南アメリカ大陸、最後に北アメリカ大陸へと動いていきます。この視点の動きが、まさにオーストラリアの近隣諸国がどのあたりで、ここから世界がどう見えるかを象徴しているでしょう。世界に固定化された中心はなく、地球儀のように視点が変われば中心も動くという当然のことを、改めて認識させられます。
そうした流動的な世界のなかで、
自分たちは何者なのか
どこから来てどこへ向っているのか
アジアのアーティストとは、パシフィックのアーティストとは誰か
コンテンポラリー・アーティストとは誰か
と、国家と現代アート両方のアイデンティティを自身に問いかけることで、APTは結果的に「現代アートとは何か」を問い続けています。「現代アート展」の開催だけを前提とするのではなく、人々と文化の流れ、つまり文化交通の過去と現在に焦点を当てることによって、APTはアートの収集機関として、文化の融合と衝突、人々の葛藤や交流をアーカイブしているのです。
イギリスの系譜の印象が強かった以前とは異なり、現在のオーストラリアは、もはや西欧にオーセンティシティを求めない自らのアイデンティティの模索を行っています。それが、東西南北の文化交通を見渡す際、オーストラリアに西欧とは違ったアジアに対する独自の中立的なまなざしと、アジア・パシフィック域内外の文化交通の中継者あるいは調停者としての可能性をもたらしています。私はAPTのこの点に、特に注目と期待を寄せています。
1988年のブリスベン・エキスポに端を発し1993年から始まったAPTが、この約20年間見渡し、深く従事してきた現代アートによるアジア・パシフィックの文化交通は、QAG/GoMAのような美術機関が行うダイナミックな規模と、個人の草の根レベルと、その双方で実践されることが重要です。文化交通には、政治と制度によって建設される国道や鉄道だけでなく、道草ができる脇道も、地元の人しか知らない抜け道も、足元険しい獣道も必要だからです。車や鉄道や戦闘機は、ポール・ヴィリリオがいうところの速度の暴力を伴った「走行光学装置」*7です。つまり速度の進化は、近代国家が己の知と権力を確認するために他者を征服していった歴史でもあります。それが近代以降、今世紀に至るまでどういう結果をもたらしてきたかは、いうまでもありません。現代において世界を見渡し、その一員として関わりを持っていくには、地図上で静止した国の越境から流動的な地域の横断へと、概念を刷新していく必要があるでしょう。
2006年「日豪交流年」の機にオーストラリアで開催された現代日本美術展*8の現地調査のため、初めて来豪したのが2005年。ブリスベン、シドニー、メルボルンの3都市を従来の意味のVisiting Curatorとして回った6年前の当時、まさかブリスベンに住むことになるとは全く思っていませんでした。その事業ではメルボルンを中心に今も健在のキュレーターの素晴らしいネットワークが築かれ、また調査から派生した縁で、その後2008-2009年に東京とシドニーで日豪写真メディアの共同企画*9が実現。そして同じく2005年の調査で訪れたブリスベンで30分ほどの短いミーティングをしたQAGのキュレーターたちは、現在職場を共にする同僚となっています。
現代の文化交通を考察するため、今後もさまざまな現代アート・プロジェクトの実践をとおして、私自身もこうしたネットワークをアジア域内外へと広げていきたいと思います。
- 東京オペラシティアートギャラリー
- 文化庁新進芸術家海外研修制度
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The 6th Asia Pacific Triennial of Contemporary Art
QAG/GoMAとAPT5、その教育普及事業については2006年7月の杉浦幸子さんの記事にもレポートがあります。
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オーストラリアの主要な州のオルタナティヴ・スペースは、1970年代の設立がほとんど。そのネットワークはこちらを参照: CAOS:Contemporary Arts organizations Australia。ブリスベンでは1975年設立で老舗のIMA: Institute Modern ArtがCAOSのメンバー。!Mero ArtsもIMAと同時期に設立。アーティスト・イン・レジデンスに関しては2006年1月の帆足亜紀さんの記事をご参照ください。
オルタナティヴ・スペース以外に近年ブリスベンの新興アーティスト・ラン・スペースを概観できる好例としては、「Bari: Brisbane Artist Run Initiatives Festival」が挙げられます。
メディア・アートの支援や展覧会企画を行っているMAAPもブリスベンが拠点。去年ギャラリーがあるサウスバンクに事務所を移転。近くなりました。2010年1月の福田幹さんの記事でも紹介されています。 - Milani Gallery, Ryan Renshaw, Andrew Baker Art Dealerなど。
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たとえばAPT1開催当時1993年のクイーンズランド州の人口は約3100万人、うちブリスベンは約1300万人。APT6開催時の2009年には州人口約4400万人に、うちブリスベンは約2000万人に増加。1993年以来、海外からクイーンズランド州への移民数も3倍になり、ブリスベン人口のおよそ26%を占めます。
APT1の来館者は約6万人。前回2009年のAPT6は約53万人(QAG/GoMA両館ダブルカウント)。 - ポール・ヴィリリオ『ネガティヴ・ホライズン――速度と知覚の変容』(丸岡高弘訳)、産業図書、2003年、p.152。
- 2006年日豪交流年記念事業「Rapt! 20 contemporary artists from Japan」(国際交流基金主催、共同企画)メルボルンを中心に、オーストラリア複数都市で開催。
- 「トレース・エレメンツ――日豪の写真メディアにおける精神と記憶」(ベック・ディーン、飯田志保子共同企画)2008年東京オペラシティアートギャラリーと2009年パフォーマンス・スペース、シドニーで開催。