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3.イギリス植民地設立
  15世紀以降、オーストラリアの海岸には様々な国々から探検家や貿易商人が探検にやって来ました。ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、インドネシア、中国などからです。
 
  1788年、最初にオーストラリアに到着したイギリス人は、現在のシドニーから数km南のボタニー湾に植民地を開きました。その後まもなく、この植民地はシドニー湾岸のポートジャクソンに移されました。この地に監獄を建て、イギリスの流刑者を移送することが目的でした。そこで、1830年代までは数の上で勝っていた先住民と、囚人や他の入植者との争いがたびたび起こるようになりました。植民地の規模が拡大するに伴って家畜の数も増え、入植者達はより広い牧草地を求め始めました。入植地の拡大によって、さらに食料も必要となり、羊や牛を飼育するための新たな土地を探し出すことが急務でした。一方では、イギリス政府は内陸への調査探検を奨励していました。
 
開拓の進行状況
  実際にイギリス人入植者がオーストラリアの内陸部の開拓に手をつけたのは、それから何年もたってからでした。内陸部の気候は暑く、乾燥しているため住みにくく、また、シドニーの西にある山脈は何年もの間、開拓上の障害となりました。一方、何人もの探検家が砂漠地方の横断を試みましたが、いずれも大失敗に終わりました。
 
  しかし、土地を手に入れ、開拓、開墾する経済的な必要にせまられ、入植者は開拓の努力を続けました。まもなく道路が作られ、徐々に森林地帯が切り開かれ、人々の入植が進み、土地は開墾されていきました。
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