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1920年代には移住者のほとんどがアイルランド人かイギリス人で占められていました。当時は第1次大戦が終わって多くの人々が安全な土地を求めてやって来ていましたが、1930年代になり世界的な不況が訪れると移民は事実上中断しました。1945年に第2次大戦が終わるまでの間、オーストラリア国民はその人口の少なさや国際的な孤立、戦争時における物資・装備・兵力を他国へ依存している事実に強い不安を感じていました。そこで政府は移民による人口の増大を決意しました。
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オーストラリア政府は初めて、イギリスだけでなく他のヨーロッパ諸国からの移民も積極的に受け入れ始めました。1945年から1975年までの間に約400万人がオーストラリアへ移住していますが、イギリスからの移民はその半数以下に減り、代わりに様々に異なった文化圏からの移民が大量に流れ込んできました。 |
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首都キャンベラの全国多文化祭 / © Michael Jensen |
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戦後の移住者には渡航費用と入国後の宿泊費の援助が行なわれましたが、このことも移民数増加の一因となりました。移民達の多くは主要都市で様々な産業に従事し、オーストラリアの経済成長や繁栄に寄与しました。
差別政策に対して国内で起こった長年に及ぶ批判を受け、またアジアとの経済的な結び付きを求める声も高まる中、1972年、それまで続いた白豪主義政策が撤廃されました。これを境に移住者の選抜のいかなる段階でも人種による差別は廃止され、アジアからの移民も急激に増え始めました。
最近では、総人口の4分の1近くがオーストラリア以外で生まれ、このうちの6割以上(61%)は英語圏以外の国で生まれています。さらにオーストラリアで生まれた国民の約3割は少なくともどちらかの親がオーストラリア以外の生まれで、つまりオーストラリア人2世ということになります。異なる国や文化と深いつながりを持つ国民は全人口の半数以上に及んでいます。
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オーストラリア一世と二世の出生国別人口(1996年) (単位:千人) |
国名 |
一世人口(a) |
二世人口 |
合計 |
イギリス及びアイルランド |
1,072.6 |
1,444.5 |
2,517.0 |
イタリア |
238.2 |
333.9 |
572.1 |
ニュージーランド |
291.4 |
200.0 |
491.4 |
前ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 |
175.4 |
131.3 |
306.7 |
ギリシャ |
126.5 |
153.9 |
280.5 |
ドイツ |
110.3 |
139.3 |
249.6 |
オランダ |
87.9 |
142.5 |
230.4 |
ベトナム |
151.1 |
46.8 |
197.8 |
中国 |
111.0 |
40.2 |
151.2 |
その他 |
1,537.5 |
733.1 |
2,270.6 |
合計 |
3,901.9 |
3,365.5 |
7,267.4 |
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(a)一世人口に関しては5歳未満の子供と出生国の届出のない者は除く
※出典:オーストラリア連邦統計局資料「オーストラリア2003年年鑑/133頁」、AGPS, Canberra
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その結果、この国の人々の生活様式には多民族の文化が大きな影響を与えています。学校では英語を話し、家庭ではその家族の母国語を話す子供も多くいます。オーストラリア社会の文化的背景の豊かさは、実に様々な様式の料理や音楽、ダンス、スポーツ等をこの国の人々にもたらしています。
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総移民の数とアジアからの移民の数の変化:年度(7月1日〜翌年6月30日)別の年間総数(単位:千人)
出典:オーストラリア連邦統計局資料(Migration, Australia (3412.0); Overseas Arrivals and Departures, Australia (3401.0))
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中華街のお祭り / © Australian Tourist Commisstion |
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ベトナム料理(パースのレストランにて) |
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外国で生まれたオーストラリア人は、2001年の国勢調査によれば、410万人に達しました。家庭で英語以外の言語を話す人の人口は全体の16%で280万人を超えています。
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家族間の会話に英語以外を使用する国民の数とその総人口占有率、 及びそれらの国民のうちオーストラリアで出生した者の割合(2001年) |
言語 |
男性 (千人) |
女性 (千人) |
合計 (千人) |
総人口占有率 (%) |
オーストラリアで出 生した者の割合(%) |
イタリア語 |
175.4 |
178.2 |
353.6 |
2.0 |
42.7 |
ギリシャ語 |
131.8 |
132.0 |
263.7 |
1.5 |
50.9 |
広東語 |
108.2 |
117.1 |
225.3 |
1.3 |
20.0 |
アラビア語 |
108.7 |
100.6 |
209.3 |
1.2 |
43.2 |
ベトナム語 |
86.1 |
88.1 |
174.2 |
1.0 |
25.5 |
北京語 |
67.0 |
72.2 |
139.3 |
0.8 |
12.2 |
スペイン語 |
45.2 |
48.4 |
93.6 |
0.5 |
22.7 |
タガログ語 |
30.8 |
48.1 |
78.9 |
0.4 |
8.8 |
ドイツ語 |
35.7 |
40.8 |
76.4 |
0.4 |
19.4 |
マケドニア語 |
36.6 |
35.4 |
72.0 |
0.4 |
38.6 |
クロアチア語 |
35.2 |
34.6 |
69.9 |
0.4 |
34.0 |
ポーランド語 |
27.1 |
31.9 |
59.1 |
0.3 |
20.0 |
アボリジニ語 |
25.1 |
25.9 |
51.0 |
0.3 |
99.6 |
トルコ語 |
25.7 |
25.0 |
50.7 |
0.3 |
39.7 |
セルビア語 |
24.8 |
24.4 |
49.2 |
0.3 |
22.1 |
インド語 |
24.4 |
23.4 |
47.8 |
0.3 |
13.5 |
マルタ語 |
20.5 |
20.9 |
41.4 |
0.2 |
28.7 |
オランダ語 |
18.3 |
21.9 |
41.2 |
0.2 |
14.6 |
他言語 |
352.4 |
368.5 |
720.9 |
4.0 |
19.1 |
合計 |
1,378.9 |
1,437.6 |
2,816.5 |
15.8 |
29.5 |
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使用言語の届出のない者は除く
※出典:オーストラリア連邦統計局資料「オーストラリア2003年年鑑/146頁」、AGPS, Canberra
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なお、オーストラリアには先住民であるアボリジニやトレス海峡の60言語を含む200以上の言語があります。
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オーストラリアの先住民族アボリジ二の文化には深い精神性があり、自然界と先祖の霊が重要な役割を持っています。
18世紀の終わりに渡来したイギリスとアイルランドの入植者達は英国国教会(現在の聖公会)や他のキリスト教派(メソジスト・カトリック・長老派・会衆派・バプテスト派)をこの地にもたらしました。そして、それから100年の間にユダヤ教やドイツのルター派、イスラム教、モルモン教、安息日再臨派、キリスト教科学派、ものみの塔等、他の宗教や教派も入って来ました。さらに過去50年にわたる移民の急増で仏教やヒンズー教もこの国に根を下ろしました。オーストラリアにはいわゆる国教は存在せず、また法律によって宗教による差別が禁止されています。この国では人口の73%にあたる人々が宗教を持ち、その多くが週末や一日の終わりに教会を拠点とした活動に参加しています。しかしここ10年で宗教を持たない国民の数が急増しました。
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