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7.連邦成立
  国家としてのオーストラリアは、英国植民地の集合体から近代的で独自の民主政体を持つ州連邦へと発展しました。開拓初期の時代には、先住民以外の住民は、ほとんどが新しい植民地を開拓するための労働力としてイギリスから船で送られて来た囚人でした。囚人の他にはイギリス人の自由移民として地主、農夫、採鉱地開拓者、商人などがいて、この国の経済の基礎を築きました。
 
  1890年代、6つの植民地は経済の発展とナショナリズムの高まりから、連邦化実現を果たすべく憲法制定議会を通して互いに連合することを決定しました。連邦制への移行は1901年に行なわれ、国家を大英帝国圏の一員としながら議会はイギリスの制度を踏襲した二院制とすることで独立国家としての一歩を踏み出しました。
オーストラリアの連邦化の写真
連邦制化の賛否を問う西オーストラリア州の州民投票 / © The National Library of Australia
 
  オーストラリア政府の体制はイギリスやアメリカの自由民主政体をモデルとしています。しかしその形態は独特です。連邦政府は公選された議員によって構成される議会を基とし、議会は下院と上院の2つの議院からなっています。下院で議席の過半数を得た政党、および連合が政権政党となり、両院で指名された閣僚で内閣を構成します。
 
  オーストラリアは立憲君主制による議会制民主主義をとっており、英国の女王を連邦と州の元首としますが、その場合の称号はオーストラリア女王となります。国内では連邦政府の推挙によって女王に任命された連邦と州の総督が女王の代理を務めますが、特別な状況を除き重要な政治上の判断を任されることはありません。総督の有する決定権は憲法に関連したものに限られ、従ってその決定に政治性はなく、国家における役割も大法官に準じるものとして位置付けられています。
 
  オーストラリアでは共和制への移行の是非が長い間議論の対象となってきました。しかし1999年11月に国民投票が行なわれた結果、現体制の支持者が多数を占めました。
 
国旗の由来
  オーストラリアの国旗は1901年の連邦成立直後に、公募により連邦国旗のデザインを決定しました。3万件以上のアイデアが集まりましたが、公募者のうち5人のデザイン案は同じようなものだったので、彼ら5人全員が国旗のデザイン発案者と考えられています。その中の1人にはアイヴォー・エヴァンス(Ivor Evans)という、当時14歳の中学生もいました。
 
オーストラリアの国旗
 
  オーストラリアの国旗は青い地に3つの象徴的な部分から構成されています。まず、右半分をしめているのが南十字星で、南半球にあるオーストラリアの地理的な位置を示しています。左上のユニオンジャックはオーストラリア発展の礎となった英国との歴史的関係を表しています。ユニオンジャックの下の大きな星は「連邦」を表すもので、各州と特別地域の結束と統合を象徴しています。この「連邦」の星には7つのポイント(とがっているところ)があるので七稜星(しちりょうせい)といわれますが、これはオーストラリアの6つの州と特別地域(首都特別地域、北部特別地域や南極の領土など)のことを表しているのです。1901年の国旗決定当時は、6つの州のみを表していたので、とがったポイントの数は6つでしたが、1908年に若干の修正が加えられ、現行のように7つのポイントになりました。
 1. 孤立した大陸
 2. 地形
 3. 気候の多様性
 4. 人口・人口分布
 5. 先住民アボリジニ
 6. イギリス植民地設立
 7. 連邦成立
 8. 白豪主義政策
 9. 多民族・多文化国家
10. 主要な出来事の年表
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